生活保護にバイト面接20社… いしだ壱成が石川県移住で味わった、苦悩と再生の10年間 #人生100年 #令和のカネ
純一は、『北の国から』などを手掛けていたフジテレビの山田良明プロデューサーを紹介した。92年、壱成は観月ありさ主演のドラマ『放課後』で人気を得る。翌年、最高視聴率37.8%を記録した『ひとつ屋根の下』にも出演し、一気にスターの階段を駆け上がった。 「でも僕の中で、父は仕事の先輩、事務所の社長だった。ビジネス目線で見ていたから、『純一さん』と呼んでいましたし、ずっと敬語でした」 CDデビューも果たし、94年には『WARNING』がヒット。翌年の主演ドラマ『未成年』(TBS系)は平均視聴率が20%を超えた。しかし、『ひとつ屋根の下2』の撮影を控えた97年初頭、突如としてうつ病が襲った。幼少期から自己肯定感の低い“実像”星川一星は、歌も芝居も完璧な“偶像”いしだ壱成とのギャップに耐えきれなくなっていた。 「現場に出ても誰ともしゃべれず、すぐに楽屋に引き返していました。当時はうつが理解されていない時代でしたから、何か様子がおかしいなくらいの印象だったと思います」
大麻取締法違反、バイトの面接を始めた日
順風満帆な芸能生活の歯車が狂い始める。01年8月、大麻取締法違反で逮捕され、活動休止に。プライベートでも結婚、離婚を繰り返した。そして、石川との2拠点生活が8年目を迎えていた18年4月、24歳年下の女優との3度目の結婚、相手の妊娠をきっかけに石川への完全移住を決めた。 地方での芸能活動は難しいと実感していた彼は、一般社会で働く覚悟を決めた。完全に芸能活動をやめ、職安にも通い、コンビニや工場のライン工など片っ端から様々な職種に応募した。鶴来の近隣住民たちからは、「冗談でしょ?」と驚かれたが、本気だった。だが、どの仕事も受からない。20社以上申し込んだものの、書類の通過は5社程度にとどまった。 職が見つからない。家では小さな子どもが待っている。自分は何をしているのか――。壱成は強い自責の念に駆られた。 「水を飲む時でも、『全然稼がずに家族につらい思いをさせているのにいいのか』と悩んでいた。何かと理由をつけて、自分を悪く考えてしまう。家から出るのも恐怖でした。田舎の小さな街で近所の人はだいたい顔見知りだから、『最近元気ないね』と思われたくなかった」 かつては過ごしやすいと感じていた鶴来という街も、うつ状態の彼にとっては圧迫感を与えるものになりつつあった。毎朝、目が覚めると「今日も起きてしまった。まだ生きている。どうやって死のう」と頭に浮かんだ。友人の勧めもあり、生活保護を受給し始めたが、SNSでは大バッシングが起こった。