生活保護にバイト面接20社… いしだ壱成が石川県移住で味わった、苦悩と再生の10年間 #人生100年 #令和のカネ
「数カ月間、毎月12万円ほど受給したのかな。のちに、そのお金は返しました。世間的に、生活保護に対するイメージは良くないですよね。うつも同じですが、『甘えるな』『言い訳するな』と考える人はまだまだたくさんいます。その空気は人を追い詰めてしまう」 光の見えない絶望的な状況の中、壱成はほんの少し意識を変えた。 「自分を客観視したんですね。うつにも周期がある。僕は双極性障害という躁うつ病で、季節によって気分が変わるんです。6月頃にガーンと上がって、8月頃にドーンと下がる。10月頃にハイになって、12月頃にまた落ちる。自分のパターンを知ったことで、『今は落ちてるけどまた上がるな』と思えたんです」 うつと真正面から向き合うのではなく、上手に付き合うことで少し気持ちがラクになった。
支えになっている松本人志の言葉
3度目の離婚をして数カ月経った22年春、壱成は石川から東京へ生活拠点を戻した。トルコでの植毛を話題に、5月には『ワイドナショー』(フジテレビ系)にゲスト出演。カメラが回ってない時、松本人志がこんな言葉をかけた。 「壱成君もね、今までいろんな苦労してきて、大変だったと思う。でも、その経験は必ず役者としてのスパイスになる。演技に投影されることを楽しみにしています」 気づくと、壱成の目から涙が溢れていた。 「『うつになって良かった』と思いました。自分でも苦労は演技に生きると考えてきたけど、松本さんの言葉で確信を持てた。今も心の支えにしています」 東京へ戻った頃から、頻繁に父から連絡が来るようになった。純一の妻・東尾理子なども含めて会合を重ね、徐々にわだかまりが解けていった。 「過去の件は時効だと思いますし、非難しても何も始まらない。もともと、父のおかげで芸能界に入れて、良いこともたくさんあった。それに、お互い大変ですしね(笑)」
初めて「パパ」と呼んだ
数カ月前、仕事の打ち合わせをしていると、自然とある言葉が壱成の口から漏れた。 「生まれて初めて『パパ』と呼びました。(純一は)一瞬、間があって『おお、おお』と戸惑いながらも、うれしそうでした。それ以降、電話でも『パパだよ』と自分から名乗るようになって、僕も『ああ、パパ』と返事します。自分でもビックリしましたけど、言葉にするとしっくりきました」 49歳になった壱成は、前を見据えながら、ゆっくりと歩き出している。昨夏の舞台『呪怨 THE LIVE』では多重人格のキャラクターを演じ、千秋楽には当日券を求める行列ができるほどの評判を呼んだ。 「いろんな経験が、役者としてプラスに働いていると実感しました。石川の人たちは温かかったし、いい思い出もたくさんある。今は地震の影響でエンタメを楽しめるような状況ではないと思いますが、いずれ石川を舞台にした映画や演劇ができたらなと考えています。それが少しでも復興の一助になれば、こんなにうれしいことはありません」 人生、悪いことばかりは続かない。谷が深ければ、そのぶん山も高くなる。地方移住を経て、壱成は役者として大きな財産を手に入れた。今、心からそう確信している――。