「松山英樹」銅メダル報奨金「600万円」全額寄付で思い出す…シェフラーと「ガンに散った友人」の絆
ルーキーイヤーに5万ドルを寄付
財団設立時のシェフラーは10代半ばだったが、レーガンとペアでトーナメントに出場するなど、すでに固い絆を築いていた。その後もレーガンに寄り添い続け、自身がプロになり、PGAツアーの選手になってからも、寄付はもちろんのこと、時間を作っては財団の活動に参加している。 ルーキーイヤーだった2019年、シェフラーはRSMクラシックで行われたチャリティ企画で30万ドルを獲得。そのうちの5万ドルを、そのまま財団へ寄付した。 「スコッティが電話してきて、期せずして得たお金を財団に寄付したいと言ってくれました」 レーガンの母親はそう振り返った。 かつて、レーガンは「みんなに助けてもらっている。だから僕も、がんになった子どもたちの助けになりたい」と口癖のように語っていた。そんなレーガンの言葉をいつも聞いていたからこそ、シェフラーも周囲のサポートの1つ1つに感謝する選手になったのだろう。
想いを形にすること
シェフラーは、プロゴルファーになる以前からレーガンが立ち上げた財団をさまざまな形でサポートしてきたが、PGAツアー選手になってからは、レーガンの姉とパートナーシップを組んで支えており、レーガンの残された家族と財団は、そんなシェフラーの熱心な応援団となっている。 寄付はもちろんのこと、ゴルフバッグや用具を寄贈したり、病院にパット練習用のグリーンを設置したりもしているそうだ。そうやって、シェフラーから素敵な贈り物を授けられた人々も、やっぱりシェフラーの応援団になっている。 そういう「持ちつ、持たれつ」が自然に続いていることが、とても素晴らしい。そして、そこに関わる人たちが明るい笑顔を浮かべていることが何より素敵だ。 寄付や社会貢献は、意味や想いが伴ってこそである。シェフラーは、今は亡き親友とその家族のため、同じような病気と闘うすべての人々のために社会貢献をしている。松山は、日本のゴルフ界の若手育成のため、日本のゴルフ界のために役に立ちたいという想いを抱いて寄付をした。 そんな風に、想いを形にすることが当たり前のように自然に、そしてもっともっと行われる日本社会と日本ゴルフ界になってほしい。 舩越園子(ふなこし・そのこ) ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学客員教授。東京都出身。早稲田大学政治経済学部経済学科卒。1993年に渡米し、在米ゴルフジャーナリストとして25年間、現地で取材を続けてきた。2019年から拠点を日本へ移し、執筆活動のほか、講演やTV・ラジオにも活躍の場を広げている。『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『才能は有限努力は無限 松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。1995年以来のタイガー・ウッズ取材の集大成となる最新刊『TIGER WORDS タイガー・ウッズ 復活の言霊』(徳間書店)が好評発売中。 デイリー新潮編集部
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