「松山英樹」銅メダル報奨金「600万円」全額寄付で思い出す…シェフラーと「ガンに散った友人」の絆
シェフラーの親友であり兄貴
欧米ゴルフ界では、寄付や社会貢献をしてこそ一流選手と見なされるのだと前述した。その1例をご紹介したいと思う。 世界ランキング1位の座をすでに100週以上も維持し、パリ五輪では金メダルを獲得、そしてPGAツアーの今季の年間王者にも輝いた28歳の米国人選手、スコッティ・シェフラー。彼はプロゴルファーになる前から、「寄付」や「財団」というものに直に触れてきた。その陰には、こんなストーリーがある。 シェフラーはテキサス州のジュニアツアーに参加していたころ、ジェームス・レーガンという2歳年上のゴルファーと知り合った。シェフラーにとっては親友であり、兄貴のような存在でもあったという。 レーガンはもともと将来有望なテニス選手だったが、2006年6月に13歳を迎えた直後、骨肉腫と診断された。手術により左脚の大部分を失いながらも、翌07年の夏にはゴルフを始め、シェフラーと出会った。 その出会いと前後して、レーガンは07年6月に14歳の誕生日としてトーガパーティー(古代ギリシャ・ローマがドレスコードのパーティーで当時の学生に人気だった)を開き、ゲストから入場料50ドルを集めた。がん研究所や世話になっていた地元の病院などに寄付するのが目的だ。その結果、「いきなり4万ドル(約470万円)が集まって、びっくりした」という。
「がんは不意にやってきた」
レーガンは翌08年の誕生日もパーティーとチャリティ・ゴルフトーナメントを開催し、10万ドルを集めた。これらがヒントになり、「がんとともに生きる子どもたちの人生を向上させたい」という願いを込めて、2010年に友人や家族と「トライアンフ・オーバー・キッズ・キャンサー(Triumph over kids cancer)財団」を創設する。 レーガンは、こう言っていたという。 「がんは不意にやってくる。僕もがんだと告げられる以前は、スポーツ大好き、ゴルフ大好きなフツウの子どもだった。でも、がんは不意にやってきた。そして、それは誰にでも起こる可能性がある。それが起こってしまった子どもたちの人生が、どう変わってしまうのかを世の中に伝えたい」 「治療は痛かったり、苦しかったりで、とんでもなく、お金がかかる。だけど、その中でも何か楽しみを見出すことができたら、幸せな時間、幸せな日々を過ごすこともできる。そのことも僕は世の中に伝えたい」 07年に肺への転移が確認されていたレーガンは、厳しい闘病生活の合間にゴルフの腕を磨いた。7年半近い間に6度の手術を受けながらも、ジュニアツアー優勝や大学進学などを実現させている。だが2014年、20歳で天国へ逝ってしまった。