因縁の甲子園「俺は仁村家にとって悪人やな」 9回2死からの奇跡…中日でも続いた友情
2人は中日でプレー…仁村が投手時代に挙げた唯一の勝利を牛島氏がセーブでアシスト
左翼ポール際の打球だった。「僕はホームランを打ったことがなかったんで、僕みたいなのが打ったら審判はファウルって言うんだろうなって思いながら一塁に走って、パッとみたら、審判が手を回していたので、ああ入ったって感じでしたね」。牛島氏の劇的な一発で同点に追いついた浪商は延長11回に勝ち越して3-2で勝利した。「1年生から試合に出ていて、僕が球場でホームランを打ったのはこれ1本だけでしたからね」。まさに忘れられない一打となった。 「あそこで外に変化球が来ていたら僕は振っていませんからね。後で徹に聞いたら『外にボール球を投げるつもりが、パッと抜けてインサイドに行った、自分のミスだ』って言っていましたよ。でも徹はいいピッチャーでしたね」。牛島氏と仁村はのちに中日でチームメートになり、打者転向前の仁村が投手時代に唯一挙げた白星を牛島氏がセーブでアシストする関係にもなるのだから、縁とはわからないものだ。 5年後の1984年10月5日の阪神戦。くしくも舞台は2人にとって因縁の甲子園だった。「徹がピッチャーとして最後に1軍に上がって負け試合にリリーフで出たら逆転して、このままいったら徹に勝ち星が付くってところで僕が投げたんですけど、あれほど緊張したことはなかったですよ。もし打たれたら“俺は仁村家にとって悪人やな、甲子園で9回にホームランは打つわ、プロ初勝利を消すわってなったら”って思ってね」。それだけに最後を締めた時はホッとしたそうだ。 「その前に『野手になれって言われているんだけど』と徹に相談されたりしていたんですよね。『野手でレギュラーを取ったら息長いからいいんじゃないの。俺にホームランを打たれているピッチャーやからな』って言ったら笑っていましたけどね。あいつプロでは1試合投げて1勝なんですよね」。結果、仁村は打者として大成功を収めるが、そんな2人の絆が深まったのも高3夏の対決があったから。牛島氏にとって上尾・仁村徹投手との対戦は友情物語の始まりでもあった。
山口真司 / Shinji Yamaguchi