いま一番気になる文筆家、伊藤亜和が綴るエッセイ──「かわいいひと」
「かわいい」より「かっこいい」と言われたいようになったのか、それとも「かわいい」と言われることをあきらめてしまったのか。 新進気鋭の文筆家・伊藤亜和が、家族、恋人、そして未来の愛車を巡って綴るエッセイ。 【写真】新進気鋭の文筆家、伊藤亜和ってどんな人?
車の免許を取って2年ほど経った。はじめての免許更新は免許センターまで参上しなければならないらしく、面倒くさいがまあそのうちに、と思っていると、みるみるうちに時間は過ぎた。結局私は更新期限日の当日に、内心大汗をかきながらも涼しい表情で講習に滑り込んだのだが、30歳も近くなって先延ばし癖が治らない自分が恥ずかしくなった。今のところ毎回どうにかなっているが、次こそはどうなるか分からない。現にこの原稿も、締め切りの当日になってやっと書き始めている。 自分で立てた目標や計画が実際に実現したことが、記憶にあるかぎりいちどもない。そもそも、掲げも立てもしないのだから実現しないのは当たり前だ。大学は勉強せずに運よく受かってしまったし、就職活動も就職もまともにしないままここまで来た。私のこれまでは「気がついたらこうなってました」の連続なのだから、想定したうえでの想定外のことなんて起きるはずがないのだ。 唯一、結婚に関してだけははぼんやりと「23歳くらいには」と夢見ていた。母は22歳の誕生日に私を生んだのだから、私もそのくらいには結婚できるだろうと思っていた。地元のショッピングモールの占い師に「晩婚です」と言われても信じなかった。しかし、交際相手に何度か惨めったらしくフられているあいだに、28歳になろうとしている。私の結婚に対するイメージは、小学生の頃想像していたものと、ほとんど変化していない。実の父親のような暴れん坊ではなく、サツキとメイのお父さんのような、眼鏡をかけた気の優しい男の人とお互いを「パパ」「ママ」などと呼びあいながら少しやんちゃな男の子を愛で育てる人生。昼下がりの、小さな庭のある一軒家。近くを流れる澄んだ小川……。明日のこともはっきりと言えない今の生活から、あと数年でそうなれる自信がまるでない。恋愛と無縁ではないにもかかわらず、私のなかでの結婚はいまだ起こり得ないファンタジーのままなのである。だって、誰かがそのたったひとりに私を選ぶ日がくるなんて、私には信じられないことだから。 私の探しているサツキとメイのお父さんのような人は、育ちの悪い私の前にはなかなか現れず、なかば大切にされることも諦めかけた私は、以前は見向きもしなかったような年下のツンツンした派手髪の男子から、多少舐めた口をきかれて「悪くないな……」とまんざらでもないニヤニヤを浮かべていることすらある始末。もともと落ち着いた性格だとは言われてきたが、近頃はさらに落ち着いてきてしまって、男性に「かわいい」と言われる数より、自分が男性に「かわいい」と言っている数のほうが多い気がする。自分から相手にかわいいと言うたび、私はなにかしらの勝負から降りたような気分になる。乗りたいと思う車も、最近はかわいらしくてずっと憧れていたミニクーパーより、大きくてゴージャスなレンジローバー、ベンツのGクラスと答えることが多い。歳を重ねて、経験を重ね、「かわいい」より「かっこいい」と言われたいようになったのか、それとも「かわいい」と言われることをあきらめてしまったのか。 私には付き合って1年経つ恋人がいる。彼も免許は持っているが、運転自体はほとんどすることがないという。だから、もし暖かくなってどこかに遠出することになれば、運転の役割は私が引き受けることになるだろう。彼は知らない。私が不良少年のような態度でハンドルを回すこと。重低音の響く曲を大声で歌いながら高速を疾走すること。無礼な車や気の抜けた歩行者にとことん口が悪いこと。飛ばし屋に後ろから煽られてヘラヘラ笑うこと。まだ言っていないことがたくさんある。そんな私を見たら、彼はどう思うだろうか。私は今まで、彼の前で惚けた顔をしすぎたかもしれない。 あるとき、ツイッターのタイムラインで誰かが言っていた。 「女の子は、男の前でバカなふりをしていると、そのうち本当にバカになる」と。 べつに、私はバカなふりをしていたわけじゃない。彼もそんなことは望んでいないはずだ。ただ、私は自分の不感症で乾いた部分を見せたくはなかった。なにに対しても心を動かし、愛情表現が豊かで、コロコロと表情が変わる女の子。私はそんなふうに思っていてほしくて、そんなふうにしていた。 嘘をついていたわけじゃない。たしかに存在する私のそういう部分を、彼に会う日はツマミいっぱいに引き上げていた。でも、それは毎日一緒にいるわけではないからできること。そうできない日もやがて来るだろう。こんなに上手いこといってしまうなら、もう少しスピードを押さえておけばよかったか。驚かせないよう、徐々にブレーキを踏むのは存外難しい。 いつか、自分だけの車が欲しい。家族が使う予定を気にしなくてもいい、私だけの、好きな時に好きな人のところへ走っていける自由な車。私はどんな車を選ぶだろう。君をどこに連れて行こう。新しい私も、きっと笑って受け入れてほしい。 会いに行く途中、自分の歩く歩幅がどんどん小さく幼くなるのがわかった。 私はやっぱり、君にかわいいと言われたい。 文筆家・モデル 伊藤亜和/Awa ITO 1996年、横浜市生まれ。学習院大学 文学部 フランス語圏文化学科卒業。Noteに自身について綴った「パパと私」が話題となり注目を集める。新進気鋭の文筆家でありながら、モデルも務めるマルチアーティスト。
文= 伊藤亜和 写真= 河野マルオ
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