1970~80年代のバス革新期にタイムトリップ!! それは輸入ダブルデッカーの流行り始めた時だった
■ヨーロッパ車輸入の多様化
ネオプランに続き、ベルギーのバンホール製ダブルデッカーTD824アストロメガが1982年に輸入された。直線的なデザインと独特なカーブがついたフロント、丸2灯のヘッドライトなどが特徴の同車は、三井物産名古屋支店が代理店となり、名鉄系の工場で艤装を行った。 このため、名古屋観光自動車や岐阜乗合自動車など名鉄系での導入が大半となった。バンホールものちにスーパーハイデッカーや後部二階建てなどが追加される。 1983年にははとバスにドイツのドレクメーラーのダブルデッカーE440メテオールが導入された。伊藤忠商事が輸入し、東京いすゞが販売・アフターケアを行う仕組みを構築し、1982年に完成車として輸入を開始した。 高級感があるとの評価のもと、静岡鉄道や大阪市交通局など20台ほどが導入されている。ドレクメーラーはその後、シアタータイプのスーパーハイデッカーE330Hヨーロコメット、UFCのE420コルセアもラインナップされるが、特殊性からか数台にとどまっている。 ドレクメーラーと同じ輸入・販売体制のもと、ヨーロッパで最大シェアを誇るケスボーラーのUFCゼトラS216HDSが1983年に輸入された。これもUFCの特殊性からか6台にとどまっている。 1983年にはバル・S.C.B商事がドイツのマンのダブルデッカーを輸入した。独立窓や前扉のみの仕様などで低価格設定がなされ、中央観光バスグループを中心に30台ほどが輸入された。 同じバル・C.S.B商事は1986年にオランダのボーバからスーパーハイデッカーのフートゥラを輸入した。前面の大胆な曲面はインパクトが大きかったが、普及には至っていない。