開幕投手の価値観はなぜ日米で違うのか
12球団中10球団の開幕投手候補が20日、オープン戦での最終登板に臨んだ。広島の前田健太、ヤクルトの小川泰弘の7失点を筆頭に阪神のメッセンジャーも5失点するなど大荒れだったため、多くのスポーツジャーナリズムが「開幕不安」「大丈夫?」などという表現で伝えた。 4失点した巨人の菅野智之は「何も心配していない」と語ったが、栄光ある開幕投手に指名された彼らが、よほどの故障でもない限り、未調整のまま開幕マウンドに上がることはないだろう。だが、開幕投手の調子が話題となる背景には、開幕投手を名誉なものとして扱ってきた日本のプロ野球の歴史と風土がある。 開幕戦を「単純に143試合分の1の試合ではない」と断言する指揮官も少なくない。開幕勝利が、イコール、チームに勢いを呼ぶ開幕ダッシュのキーと考えている首脳陣もいる。 開幕投手への依存度や注目度は、かなりのもので、今季で言えば、日ハムの大谷翔平のプロ初となる開幕投手指名は、2月20日の午前11時11分に栗山監督が名護の海外で時計を持って、まるでイベントのように発表されたほど。栗山監督は、その通告儀式として長い手紙を書いたという。開幕投手の座を巡っては、選手側の意識も高く、昨季のオフには、広島の前田健太や阪神の藤浪晋太郎が、「開幕を狙っていく」とハッキリと口にしてモチベーションのひとつとしていた。
だが、メジャーでは少し価値観が違う。開幕投手に予定されている投手が、最終登板で打たれたとしても首脳陣もメディアも問題視しない。ヤンキースの田中将大が2年目にして初の開幕投手をチーム内ライバルのCCサバシアと争っているが、関係者もファンも田中とサバシアの故障の回復具合には注視しているが、調子や開幕投手争い自体は、それがヘッドラインになるほど大きな話題とはなっていないのだ。もしマー君が開幕投手に指名されれば、日本人メジャーリーガーとして、野茂英雄(2000年、2003年、2004年)、松坂大輔(2008年)、黒田博樹(2009年)に続いて4人目の快挙となるが、何かの記録でも絡まない限り、日本ほど開幕投手に対して大きなフォーカスは当てられない。広島に凱旋した黒田博樹が、「日本ほどメジャーでは開幕、開幕と特別視はされない」と話していたが、それが実態だろう。 明らかに開幕投手に対する価値観が日米では違っているのだ。 なぜ、こうも日米で開幕投手への価値観が違うのだろうか。