大学硬式野球部を辞めた選手の「その後」 宮城教育大軟式野球部・我妻青樹が“悔しさ”を取り戻すまで
大学の硬式野球を取材していると、少し前までリーグ戦で活躍していた選手の名前が突如、選手名簿一覧から消えたことに気づく瞬間がたびたびある。途中退部の理由は様々で、完全に野球から離れる選手もいれば、かたちを変えて野球を続ける選手もいる。ただ、そういった選手の「その後」を取材する機会にはなかなか恵まれない。 そんな中、硬式野球部から姿を消した選手の一人に話を聞くことができた。昨春の仙台六大学野球リーグ戦で、当時2年生ながら宮城教育大の正遊撃手を務めた我妻青樹選手だ。昨夏に硬式野球部を退部し、現在は宮城教育大軟式野球部に所属。5月上旬、東北地区大学軟式野球春季リーグ戦第5節が行われた高砂中央公園野球場(仙台市)に足を運ぶと、グラウンドを駆け回る我妻の姿があった。 この日は首位を走る東北福祉大との一戦。初回にいきなり5点を失うも、外野を守る我妻は終始、大きな声を出して仲間を鼓舞した。4回には1点差に迫る適時打をマーク。結果的にそのまま1点差で敗れたものの善戦し、我妻は試合後、充実した表情を浮かべていた。 「これまでの野球人生で、こういう惜しい試合はあまりなかったんです。負ける時はとことん負けていたので…接戦は楽しいですね」。そう口にする我妻は、どんな野球人生を歩んできたのか。
「楽しさ」求め軟式野球部を選択
福島県出身の我妻は小学4年生の頃に野球を始めた。小、中と軟式野球に励み、地元の県立橘高校に進学。本人いわく中学、高校のチームは「勝てないチーム」で、負けた記憶の方が圧倒的に多いという。高校3年間の夏の県大会はいずれも初戦敗退だった。 宮城教育大では当初、「楽しく野球をしたい」との思いで新歓イベントを通して知った軟式野球部に入部した。高校時代は勝つ野球こそ経験できなかったが、野球を楽しむ環境には身を置くことができていた。だからこそ、大学でも野球を継続する上で「楽しさ」を第一優先に据えた。 軟式野球部では実際に野球を楽しむ日々を送った。しかし1年生の夏休みの時期、転機が訪れる。高校野球福島県大会で2学年下の弟が所属する高校を応援した際、「硬式野球をやりたい」との衝動に駆られたのだ。間もなくして軟式野球部を退部し、硬式野球部の門をたたいた。