政治改革の鬼っ子? ── 安倍首相の政治戦略 高安健将・成蹊大学法学部教授
安倍首相は、政治改革後の政治において、総選挙が政権の正当化にとって決定的に重要な契機であることを理解し、これに訴えることを選択した。支持率を維持できれば、党内におけるグリップも確保できると首相は認識している。首相が前面に出てテーマ設定を行うという姿勢も示し続けた。しかし、人びととの対話と真の意味での選択の機会、そしてこれによって政権にもたらされる人びとからの信頼の獲得という道が求められることはなかった。民主党のように、約束し過ぎれば、政権運営の足枷になりかねない。ならば約束は狭く、曖昧にする。そのような姿勢が安倍・自民党にはみられたのではないか。マスメデイアも味方につけるのではなく、「公平中立、公正」という建前とテレビ事業者に対する許認可という力の組み合わせによって、テレビを無力化する道を採った。何が問われているのか、何が行われてきたのか、何が選択肢なのか、選択の帰結は何かについて真摯に語られ、あるいは人びとの意見が求められることはなかった。十分な議論もないままに議員と政党、政権の選択が求められ、選挙の結果、全てが了解されたという形式のみが重視された。
政治改革は、政権交代可能な複数の政党が政権をめぐって競合し、総選挙の際にその政党が掲げるマニフェスト(選挙公約)を有権者が選択することで、政治と人びととのつながりを作り、人びとの思いを政治に反映させ、政治家に責任を負わせることを目指した運動である。そこでは、政党は、自らの行う政策プログラムを有権者に誠実に示し、有権者は望ましいプログラムを選択できなければならないはずであった。 安倍首相は、総選挙に勝利することで政権運営の正当化を行うという、政治改革によって作り出された表の手続きを利用することに成功し、ケンカ上手を示した。しかし、政党間の競争がない状況をあえて選択し、政権が真に追求しようとする政策は隠して議論せず、人びとの理解と了解を誠実に求める姿勢をみせたとは言えない。選挙運動期間中、語られることがあまりなかった安全保障法制の整備と憲法改正については総選挙後すぐに語られ始めている。政治改革が本来的に求めた、政治と人びととのつながりの確保と信頼の醸成というその魂は置き去りにされた。政治改革の魂は顧みられず、総選挙という手続きとそこでの勝利という形式のみが重視された。政党間に適切な競争がない状況では、責任を問われないかたちで、権力行使の正当化のみを総選挙で得ようとすることが、実は政治改革の構想からは可能となる。制度の整備だけでは日本のリベラル・デモクラシーの質は担保されないということである。 安倍・自民党には、総選挙が人びとからの信頼の獲得を目指す作業であって、自らの意思を人びとに押し付ける正当化の機会ではないということを今一度認識してもらう必要がある。首相は、総選挙の前後にテレビ出演してインタヴューに応えているが、その際に示された態度からは、異なる意見や批判が存在することを認められず、聞く耳を持たない指導者の姿が浮かび上がり、不安を禁じ得ない。政治指導者のケンカ上手も、実はケンカの相手が有権者、国民であったということでは冗談にはならない。 -------- 高安 健将(たかやす けんすけ) 成蹊大学法学部教授。専門は比較政治学・政治過程論。Ph.D. (Government) University of London.著書に、『首相の権力―日英比較からみる政権党とのダイナミズム』(創文社)など。