政治改革の鬼っ子? ── 安倍首相の政治戦略 高安健将・成蹊大学法学部教授
今回の解散は、野党やマスメディアが異なるテーマを総選挙の主題にできないようにするためのスナップ・ショットの抜き打ち解散でもあった。もちろん、野党の側の準備不足は当然野党に非がある。しかし、問題は安倍・自民党の側が正攻法の議論を回避しようとしたその姿勢にある。これはテレビへの対応にも端的に表れている。すでに多く論じられてはいるが、自民党は、各テレビ局に要望書を送り、出演者の発言回数や時間の配分、ゲスト出演者の選定、テーマ設定、街頭インタヴューや資料映像の使い方について「公平中立、公正」を求めた。結果的に、マスメディア特にワイドショーやバラエティに近い情報番組は解散や総選挙を大きく取り上げることはなかった。少数政党ならば「公平中立、公正」を求めることは理解も可能であるが、政権を担当し、圧倒的に多くの議員数を抱えて、あらゆる場面で優位に立つ政党がこのような要望書を出すというのは、政治における議論の範囲を狭め、政権の業績を評価し今後を考える機会を奪う行為にほかならない。最大政党の危機感がそこには反映されているということかもしれない。だが、野党やマスメディアを「良い子」にしようとする行為は自由な社会にとって背信的である。大きな権力をどうにかコントロールし「ほかの道」を考え認める機会を奪うことになるからである。 くわえて、今回の解散は、有権者に考える時間も与えないものであった。日本の選挙運動期間はきわめて短い。今回も投票日は告示日から12日後である。これ自体問題ではあるが、近年は解散から総選挙までの期間が比較的長くなり、人びとが考える時間は増えている。2009年の場合は解散から総選挙まで40日もあった。それが今回はたったの23日である。突然の解散に人びとが戸惑う中で、とにかく総選挙をやってしまおうという姿勢がそこには見て取れる。今回の解散・総選挙は、安倍首相の言葉とは裏腹に、さまざまな政策について幅広い議論が喚起され、政権と政権党がこれを受けて立つという「王道」の戦いとはとても言えなかった。