OBに“昭和の怪物”尾崎行雄さん、張本勲さんも 創部100周年の大体大浪商が記念式典/寺尾で候
<寺尾で候> 日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。 ◇ ◇ ◇ 戦前戦後の高校野球を盛り上げた大体大浪商の硬式野球部にとって、今年は創部100周年の節目だった。大阪・ミナミの「スイスホテル南海大阪」で執り行われた記念式典には250人の関係者が集まった。 春19度(優勝2回、準優勝3回)、夏13度(優勝2回)で計32度の甲子園大会出場を果たした。浪商学園理事長・野田賢治は、商都といわれる大阪きっての古豪といわれた存在を強調した。 「戦後のグラブもなにもない時代に、大阪の人たちに勇気を与え、野球部の果たしてくれた役割は大きい。甲子園に出場する、勝つことは素晴らしいが、その目標に向かってひたすら球を追いかける姿を常に支持してきました」 大体大浪商は1921年(大正10)に浪華商業実習学校として創立された。浪華商業に変更された翌24年に野球部創部。26年に第12回全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)に初出場、1回戦で大連商(満州)に敗れた。 復興に歩み出した当時の日本では、国民的娯楽とはほど遠かった。その戦後初の高校野球の優勝投手になったのが、46年に全国制覇を達成した浪華商のエース平古場(ひらこば)昭二だった。 高校野球は第2次世界大戦の影響で41年から45年まで5年間開催されていない。戦後初の大会で投げた平古場は、決勝で京都二中を完封するなど4試合で計62三振を奪って頂点に立つ。疎開先から帰った部員たちが貧しいなかでのめり込んだのが“野球”だった。 第28回大会だったその年は甲子園球場ではなく、西宮球場での開催だった。食糧難で敗退した高校は勝ち残ったチームに米を託した。平古場の女房役は広瀬吉治。後に監督として初出場の洲本高を優勝に導き、法大監督も務めたレジェンドだ。 55年選抜高等学校野球大会に出場した浪華商は、巨人入りしてクリーンアップに座った外野手の4番坂崎一彦、東映でプレーした捕手の5番山本八郎らの活躍で、37年以来18年ぶりに選抜で優勝する。 そして59年の浪華商から「浪商」に改称後、伝説になった投手が尾崎行雄。1年生エースだった60年夏から、61年春夏と3季連続で甲子園に出場した。61年夏に全国制覇。法政二(神奈川)のエース柴田勲とは3大会連続で投げ合った。 その秋に尾崎は高校を中退し、そのまま東映入りした。17歳でプロデビューし、剛腕ピッチャーとして20勝を記録して優勝に貢献。新人王に輝いた男は、今でも“昭和の怪物”として史上最速ピッチャーと語り継がれる。 当時の尾崎の捕手を務めたのは1つ上の先輩で、早大を経てロッテ入りした大塚弥寿男。また阪急ブレーブスで黄金期を支えた大熊忠義、住友平がいた。その尾崎の1つ下の後輩が高田繁だった。 浪商から明大を経て巨人入り、不滅のV9に貢献した高田は「わたしもいろんなピッチャーと対戦してきましたが、ストレートに限っては尾崎さんがナンバーワンです」とし「甲子園の常連の浪商に戻れることを楽しみにしています」と投げかけた。 その後の浪商は、牛島和彦(元中日など)、「ドカベン」の愛称で人気者だった香川伸行(南海)のバッテリーで甲子園を熱狂させた。だが79年にベスト4入りして以来、夏の甲子園から遠ざかっている。 89年に大阪・熊取に移転したと同時期に「大体大浪商」に改称。現在は、アマチュア界で指導経験が豊富なOB中村好治を昨秋から監督に招請し、さらに力を入れている。 来賓祝辞では明徳義塾監督・馬淵史郎が「浪商は名門中の名門。中村監督とは40年来の付き合いです。甲子園で対戦できるのを楽しみにしています」とエールを送った。会場内にはNPB最多の通算3085安打を誇るOB張本勲のメッセージ(別項)で「あっぱれ!」「喝!」が流れた。 最後に52年ぶりに浪商のユニホームを着た監督の中村が「絶対やったろうという覚悟です。オール浪商で、もう1度強く、たくましい浪商を取り戻したい。そして全員で必ず甲子園に行きたいです」と名門復活を誓って締めくくられた。(敬称略) 【大体大浪商創部100年記念式典で流れたOB張本勲氏のメッセージ】 皆さん、こんにちは。張本勲です。 このたび、母校である浪商高校野球部が創立100周年を迎えたと聞き、心よりお祝い申し上げます。「あっぱれ!」 この記念すべき節目にあたり、お祝いの言葉をお届けできることを大変うれしく思います。 高校野球で培われた「最後まであきらめない」という強い精神や、「仲間を信じ抜く心」は私の野球人生における礎となり、今でも強く胸に刻まれています。 浪商高校野球部が100年という歴史を積み重ねられたのは、多くの選手、先輩たちが築き上げた数々の功績と伝統があったからです。その積み重ねが今の浪商野球部を支え、未来への道を照らしています。長年にわたり支えてくださった皆さまに、心から感謝と敬意を表します。 現役の野球部員の皆さん、皆さんが取り組む1つ1つの努力が、次の100年を築くための礎となります。浪商のユニホームを身にまとい、先輩方が築いてきた伝統を胸に、中村監督と選手はひとつになり、これからも力強く挑戦を続けてください。皆さんの努力と成長が、浪商高校野球部のさらなる飛躍につながることを期待しています。激励の「喝!」を入れます。 これからも、全国の舞台で浪商高校の名を響かせる姿を楽しみにしています。皆さんの健闘と活躍を心から期待しています。 改めて、浪商高校野球部の創立100周年、おめでとうございます。次の100年も、浪商野球部が輝かしい歴史を刻み続け、さらなる栄光を手にすることを祈念いたします。 日本プロ野球名球会 張本 勲