小林幸子「15歳で一家の大黒柱に」2曲目から15年間曲が売れない、実家もない、どん底で聞いた「父の言葉」
当時はクラブとかキャバレー、飲食店で歌う場所もたくさんあった時代です。仕事をしたらその日にお金がもらえる仕事がいっぱいありましたが、お店に15歳と告げると労働基準法に引っかかるからダメだと言われてしまって。それでも私が働かないとという思いで、本当はダメなんですけど18歳と言ったら「明日来て」って。何より仕事がないと困るので「できません」「歌えません」「知りません」といった言葉も全部封印して、できてもできなくても「できます」といってその後に歌を覚えたり努力しました。その後、姉2人も立派に学校を出して、あとは両親の面倒を見るだけってなったら肩の荷が降りました。もういいやって思った時に『おもいで酒』のヒットに繋がっていった感じです。
── 家庭の状況もあったと思いますが、15歳で一家の大黒柱はかなりのプレッシャーだと想像しますが、「私ばっかり…!」とはなりませんでしたか? 小林さん:私を芸能界に引っ張った父がすごく猛省していたんです。「俺を恨んでるか」と聞かれて何も言えなかったですね。姉たちは学校に通っていましたが、姉たちもたぶんどこかで犠牲になっていたでしょうし。 ── しかし、15年売れない時代はかなりハードですよね?
小林さん:厳しかったです。私が15歳になったころにすごくヒットしていたのが、ちあきなおみさんや石田あゆみさんです。色っぽい歌が流行っていて、私もそうした歌を出してはいましたがまだ若く全然売れなかったですね。20歳くらいになってやっと大人の年齢になってきたかと思えば、アグネス・チャンとか山口百恵ちゃんなどのアイドル時代がきて、私がやっていることが全部逆行するんですね。 途中で辞めたくなることは何度もありました。何度も嫌になりましたが、歌しかなかったんです。それまで芸能以外のことはやってこなかったし、あとやっぱり歌が好きでしたね。たとえばクラブやキャバレーで「ジャズ歌えますか?」と聞かれたら、「歌います!」と言って歌ってました。歌ったことがなくても。バタバタっと紙に歌詞を書いて覚えて練習して、歌いましたね。