小林幸子「15歳で一家の大黒柱に」2曲目から15年間曲が売れない、実家もない、どん底で聞いた「父の言葉」
10歳でデビューした小林幸子さん。しかし2曲目から全く曲が売れず、実家は新潟の地震に遭遇し15歳で一家の大黒柱になっていき── 。(全4回中の1回) 【画像】「かわいすぎます!」10歳のデビュー当時の貴重な写真から、小林幸子さんの代名詞でもある豪華衣装の数々まで大公開(全20枚)
■歌手になるつもりはなかった ── 小林さんが小学4年生、9歳のときにお父様に連れられて新潟から東京のTBSテレビ『歌まね読本』に出場。このことがきっかけで10歳でデビューされたそうですが、元々歌手になることが夢だったのでしょうか? 小林さん:まさか自分が歌手になるなんて、夢にも思ってなかったですね。9歳の時、ある日突然父が東京見物に連れて行ってくれると言うのでついて行ったら番組のオーディション会場でした。歌ってみたら、番組に出演することになり、そのままチャンピオンになり、デビューの話をいただきました。父は歌手を夢見ていた少年だったので、デビューの話が出て喜びましたが、母は猛反対。両親そして親族会議では話がつかず、幸子に聞いてみようと言われ「歌手になりたいか」と聞かれて、よくわからないまま「なりたい」って言ってしまったんです。そこから人生が大きく変わっていきましたが、今9歳の小林幸子に言うとしたら、「大変だよ」と言うと思いますね。
── 10歳でデビューされて、その後も順調に活動が続きましたか? 小林さん:1曲目は売れましたけど、2曲目からピタッと売れませんでした。ただ、子どもでしたから、映画やドラマなど子役として結構お仕事もいただけたんです。他にもコメディやバラエティ、コントにも出させていただきました。プロデューサーの方にも厳しく教えてもらって、その時は大変だなって思ってやっていたことが、後々引き出しになっていったのは大きいですね。
── 歌については、約15年間不遇な時代を過ごされたと聞いています。実家に帰ることも考えましたか? 小林さん:辞めたいと思いましたが、「なりたい」と言った責任みたいなものを子どもながらに感じていました。さらに、デビューした年に新潟で大きな地震があって、その影響もあり数年後肉屋だった実家は潰れてしまいました。立て直そうと頑張りましたが、5年後両親と姉2人の家族4人が東京にきて、家族5人でまた暮らすことになりました。再び家族と一緒にいられるのは嬉しかったのですが、父は50を手前にして仕事も見つからなかったですし、姉も学生だったので、私が15歳から一家の大黒柱になって家族を支えるようになりました。