世界最高齢のプログラマー・89歳の若宮正子さん、創造性を育んだのは戦中の少女時代
装いやたたずまい、醸し出すムード。スタイルにはそのひとの生きてきた道、生き様が自ずとあらわれるもの。美しい空気をまとう先輩たちをたずね、その素敵が育まれた軌跡や物語を聞く。今回は、世界最高齢のプログラマーとして知られる若宮正子さん。この4月で89歳を迎えた今もなお、講演活動で日本全国を駆け巡り、海外旅行へも積極的に出かける若宮さんの原動力に迫った 【写真】若宮正子さん、着用ブラウスは、自身が“エクセルアート”でデザイン
81歳でiPhone向けのゲームアプリ「hinadan」を開発、世界最高齢のプログラマー誕生──2017年にCNNで報じられたこのニュースは、たちまち世界を駆け巡った。 一躍有名人となった若宮正子さんは、今でも年間150回を超える講演活動をこなし、この取材の翌週には島根に飛び、2日とあけず熊本や宮城へと移動。依頼はすべて自分で把握し、多岐にわたる仕事を一人こなす。 誰しもが、若宮さんのように行動したいと憧れるが、年齢や環境を言い訳に好奇心に蓋をしてしまいがちだ。若宮さん自身は、好奇心をどのように紡いできたのだろうか。
戦争に翻弄された少女時代
若宮さんのオリジナリティ豊かな創造性を育んだ礎は、戦争に翻弄された少女時代を生き抜くなかで芽生える。 「世の中がどんどん移り変わるサバイバルな時代でしたから。何も物がないから食べる物でも、暮らしの道具でも、自分たちで工夫して生み出さなければならない。人と自分を比べるという感覚も気持ちの余裕もありませんでしたから。自然と創造力を鍛える結果になったのかもしれません」。 その後、中学生時代を迎えると、岩波少年少女文庫に没頭する。『あしながおじさん』や『赤毛のアン』『大草原の小さな家』など、小説の中に描かれている海外の暮らしに思いを巡らせながら、空想の旅を楽しんでいたという。 パソコンというツールを手にいれるまでは、本を通して新たな世界を知ることが若宮さんの創造性を育んだ。デジタルデバイスを使いこなす今でも、本は特別な存在だと語る。