「おいしかった、また来るね」…中山美穂さんが”大切な人”と時間を過ごしていた「思い出の店」
「いまでも信じられない」
「お酒が大好きな美穂さんは、紹興酒やワインなどを良く召し上がっていました。逆に忍さんは飲めないので、いつもノンアルコール。 お2人とも、とても気さくな方で、美穂さんも帰り際には、『おいしかった、また来るね』といつも笑顔で言ってくださり、スタッフともいいお付き合いをさせていただいていました。…だから、今回の訃報はあまりにもショックで…今でも信じられません」 スタッフはそう話し、肩を落とした。 忍さんは6日夜、報道陣の取材に応じ、「突然のことで、お話しできることが何もありません。改めましてお話しさせて頂くことが出来たらと思います」と涙ながらに語った。 「突然の別れに、今、誰よりもショックを受けているのは忍さんでしょう。彼女の心配する声は少なくありません」(スポーツ紙芸能担当記者) 姉妹で未来を語り合うこともあっただろう。続くはずだった姉妹の時間は突然終わりを迎えてしまった。 中山さんは2018年、講談社『FRAU』のインタビューで、向上心や女優としての未来、課題について問われると、次のように答えていた。 《お芝居が上手くなりたいのはもちろんですが、演じる上で、技術的な部分や熱量以外に、自然に滲み出てしまう何かというのが、必ずあると思うんです。 その滲み出る材料が、年齢を重ね、経験を積むことで、自分の中に溜まっていけばいいなと思います。年を重ねること、経験を積むこと、などなど。すべてがお芝居の肥やしになる。 80歳ぐらいのおばあちゃんって、陽だまりの中で座っているだけでも、何かが見えちゃうじゃないですか。そういう豊かさが欲しいなと思います。年齢を重ねて、ちゃんと自分の “味”を出していけるのか。キレイでいるとか、若さを保つことよりも、私が自分の未来で興味があるのはそこですね。》(中山さんのインタビューより抜粋。以下《》も)
いろんなことを乗り越えてきた
そして「年齢を重ねる中で、何か心境の変化はありましたか?」との質問には、「不安はない」と話した。 《年齢を重ねることに不安はないし、今自分が何歳とか、あまり意識してはいないみたいですね、どうやら(笑)。年齢を重ねて楽しいのは、いろんなこだわりが、削がれていくというか……。一つ、何か豊かな部分を見つけられたら、その代わりに何かを手放していける。鎧を外していけているのかな。シンプルになっているのかもしれないです。 どんなつらいことがあっても、人前では自然に笑っていられるような、そんな芯の部分にあるブレない何かが太くなっている気がしています。それはたぶん、人の三周分ぐらいの人生を経験しちゃった気持ちだからかもしれない(笑)。いろんなことを乗り越えてきた私だから、きっと大丈夫、って思う》
あまりにも早い旅立ち
中山さんはインタビューの最後で、「一人旅が好き」とも語っていた。 《旅は、思い立ったら即行動、ってタイプなので、失敗も多いです。以前、撮影で大阪にいたときに、次の日が休みだったので、金沢まで最終の電車に乗って、お寿司を食べに行ったことがあります。 でも、時間が遅すぎて、どこもやってなかった。だから、そのままホテルに泊まって、大阪に戻りました。そんな無計画の旅をよくします》 音楽と芝居、そして家族のために生きた中山さん。その旅立ちはあまりにも早いものとなってしまった。 【つづきを読む】『「誰もいない担架を救急車に載せていて…」中山美穂さんの急死…居住ビル関係者が明かした「緊迫の光景」』
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