相田翔子(54)「我慢してた糸がプツッと切れ『行っちゃおうか?』って」生放送直前に逃亡した当時の極限状態を振り返る
高校卒業後、人気アイドルデュオ・Winkとして一世を風靡した相田翔子さん。子どもの頃は前に出るタイプではなかったといいます。デビュー後は緊張続きの日々と過密スケジュールで生放送直前に逃亡を図るという出来事も。当時を振り返っていただきました。 【画像】これで50代とは…透き通るような白い肌が印象的な相田さんから中学生になる娘さんとの貴重な家族ショットまで(全22枚)
■子どもの頃は裏方志向「小説家になる夢も」 ── 相田さんと言えば女子プロレスラーの試験を受けたエピソードが有名ですが、とても活発な子だったんですね。 相田さん:小さいときはやんちゃで、近所の男の子と夕方まで泥んこになって遊んでいました。いつも傷だらけで(笑)。
── その半面、小説家志望だったと聞いたことがあります。 相田さん:そうなんです。小学生のころから本が大好きでした。父がすごく厳しくてお人形さんやおもちゃは誕生日など、お祝いのとき以外は買ってくれなかったんですね。でも本ならいくらでもいいと、好きなだけ買ってくれました。そのおかげで読書家になって、夕食も忘れてずっと部屋にこもって本を読んでいました。同時にものを書くのもすごく好きになって。4年生のときかな、短編小説のような物語を書いて、学校で発表したりもしました。
── 自分から進んで、ですか? 相田さん:担任の先生に「こういう小説を書いたんです」って話したら、「どんどん発表しなさい。給食の時間にみんなに読んであげて」と言ってくれたんです。みんなが食べているあいだ黒板の前に立って、2作品発表しました。今も覚えていますが、『涙の川』と『秘密のビー玉』というタイトルです。 6年生のころには、脚本も書きました。クリスマス会かお楽しみ会のときに、キャストを募って自分も出演して劇をやったんです。引っ込み思案なわりにそういうことが好きでした。
── もともと自分で何かをつくり上げることが好きなタイプなんですね。 相田さん:そうですね。歌も小さいころから好きでしたし、高校生になると詞を書いたり曲を作るようになりました。でも、自分が表に出て表現する仕事をしたいとは、まったく考えたことがなくて。それより、裏方で音楽に関わる仕事ができたらいいなと思っていました。