姉はどうやって弟を支え続けたのか? 「袴田事件」の58年間をつぶさに辿る書(レビュー)
「被告人は無罪」 二〇二四年九月二六日、静岡地裁で行われた再審判決公判で、通称・袴田事件の被告人、袴田巖さんに無罪判決が言い渡された。発生から五八年、死刑確定から四四年が経つ。 だが被告人本人は長期の拘置による「心神喪失者」として法廷に姿はなく、判決後記者会見に臨んだ姉のひで子さんの「涙が止まらなかった」と凛として答えた姿が印象に残る。 戦後、死刑確定後に再審無罪となった冤罪事件の五例目となる。 この事件はどのように捏造され冤罪をかぶせられたのか、弟に全幅の信頼を寄せる姉は、いかにして彼を支え続けたのか。 その道程をつぶさに辿った本書を読むと、人の尊厳を踏みにじる、あまりにも杜撰な裁判制度に驚きと怒りを抑えることが出来なくなる。 一九六六年六月、元プロボクサーの袴田さんが勤める清水市の味噌製造会社専務宅が全焼、焼け跡から刃物で刺された一家四人の遺体が見つかる。八月、従業員寮から押収した袴田さんのパジャマに被害者の血液が付着していたことで逮捕された。 公判で終始一貫無罪を主張したが聞き入れられず、一九八〇年に最高裁が上告を棄却したため死刑が確定。証拠は事件発生の一年二か月後に味噌工場のタンクから見つかった「五点の衣類」。袴田さんの着衣とみなされ、付いていた血痕が被害者のものと一致したという理由である。 死刑判決直後から再審請求が始まる。今回の無罪判決は二〇一四年に始まった第二次の再審請求審で出されたが、この裁判は一〇年迷走した。 姉はマンションを一棟建てて弟の帰りを待っていた。ボクサーくずれと言われ犯人にされたことにボクシング界は反発、大々的に支援した。弁護団長は車椅子で裁判に向かったが、判決が出る前に力尽きた。 九一歳と八八歳の姉弟の平穏な暮らしが一日でも長く続きますようにと祈らずにはいられない。 [レビュアー]東えりか(書評家・HONZ副代表) 千葉県生まれ。書評家。「小説すばる」「週刊新潮」「ミステリマガジン」「読売新聞」ほか各メディアで書評を担当。また、小説以外の優れた書籍を紹介するウェブサイト「HONZ」の副代表を務めている。 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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