小学生時代の衝撃映像と電車のなかでの涙。誰も想像していなかった名古屋・稲垣祥がJ1通算300試合出場を果たすまで【インタビュー1】
良い意味での反骨心
逆境への強さ、反骨心。それは稲垣の真骨頂と言える。学生時代のエピソードを聞いても、どんな状況に追い込まれても折れない心が光っていた。では、その特長をどう身に付けたのか。 「元々持っていたものではないと思うんです。先ほども話した通り、小さい頃はへろへろな感じだったので(笑)。でも大きかったのは、親に支えてもらっているという実感が小学校の時からずっとあったこと。“サポートしてもらっている”“助けてもらっている”“応援してもらっている”と、そこは深く理解していたので、逆境や辛い時期を迎えても、挫折があっても、『いやいや、これだけ色々やってもらっているんだから、ここで頑張んないと』という想いが、粘り切れるひとつの背景でした。 あとはやっぱり中学から高校にかけて、FC東京ユースに上がれなかったり、試合に出られないなどの経験をしたこと。その後、帝京高校に行った時に、『あいつらに絶対負けられない』との良い意味での反骨心は、自分のレベルが低かったからこそ、持つことができました。逆に小さい頃に上手くいっていたら、そうはいかなかった。自分よりレベルの高い人が一杯いてくれたからこそ、負けたくないというメンタリティが自然に育まれました」 驚かされるのは、稲垣は小学生時代から、自分の置かれた環境、そして家族に感謝をしてきたということ。大人でもなかなかできないことを稲垣は少年時代から実践してきたのだ。それこそ“感じる力”に長けていたと言えるのだろう。 だからこそ、稲垣はサッカーを辞めたいと思ったこともないのだという。それは自分のことだけを考えるのではなく、周囲の想いを汲み取ってきたからこそ。優しさとは競争社会のなかではマイナスになることもあるのかもしれない。それでも稲垣の周りの人たちを大切にする姿は、プロの道、そして今へとつながった。 稲垣には特別な才能はなかったのかもしれない。それでもその姿は考え、感じる重要性を教えてくれる。もしかしたら、現実に直面し、今、道に迷っている人たちがいるかもしれない。そんな時は、ちょっと力を抜いて大切な周りの人たちの姿を想像するのも良いのかもしれない。稲垣の歩みはそんなメッセージにも富んでいる。 「自分もひとりだったら、もしかしたら、辞めたいって思っていたかもしれないですけど、いつも練習に付き合ってくれるコーチがいたり、いつもお弁当作ってくれてる親がいたり、そういうサポートを感じたからこそ、一緒に頑張りたい、その人たちのためにプロになりたいというマインドをずっと持ち続けていました。プロになれば、みんなに恩返しができる、自分自身も悔しさを晴らせると考えていました。 僕には優しさの固まりみたいな姉ちゃんと妹がいて、そういう環境で育ってきたんです。だから人の気持ちを考えるとか、相手の立場になってみるとか、そういうのはわりかし得意なタイプで、感じる力、共感力はあったのかもしれないです。サッカーにおいて優しさはマイナスになるかもしれませんが、それを力にしながら生きていこうと思っていますね。 両親からの特別な教えみたいなものはないんです。ただどんな時でもサポートしてくれた。それが自分としては本当にありがたかったです。 例えば中学の時も、試合に出られなくて、それでも親は観に来てくれて、一緒に車で帰るんですが、なんか気まずいじゃないですか。せっかく観に来てくれたのに。だけどそういう時も、親はサッカーのことを話すでもなく、たわいのない会話をしてくれた。色々心配をかけていたはずですが、そういう気遣いに感謝することは多かったですね」 300試合出場を達成した浦和戦の後、両親からもメッセージが入った。 「『こんなに試合に出れるとは思っていなかった』と家族もやっぱり驚いていました」 稲垣は改めて晴れやかに振り返る。家族の絆を考えれば、300試合出場はより尊いものに映る。そして、その記録は多くの支えてきてくれた人たちと達成した数字とも言えるのだろう。 さらに稲垣はプロの世界でも、人生観を変えられるような出会いを果たしてきた。 ■プロフィール いながき・しょう/91年12月25日生まれ、東京都出身。176・72㌔。大泉西ハリケーン―サウスユーベFC―FC東京U-15むさし-帝京高-日本体育大-甲府-広島-名古屋。J1通算317試合・35得点。日本代表通算1試合・2得点。名古屋の不可欠なボランチ。 取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)
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