『光る君へ』未登場「紫式部の姉」とはどんな人物だったのか?紫式部の婚期を遅らせたかもしれない<ちょっと怪しい関係>について
『源氏物語』の作者・紫式部の生涯を描いたNHK大河ドラマ『光る君へ』の放送が、今年1月から開始しました。「源氏物語にはたくさんの謎があり、作者の紫式部にも、ずいぶんと謎めいたところがある。彼女にも彼女なりの『言い分』があったにちがいない」と話すのは、日本文藝家協会理事の岳真也さん。紫式部の実態に迫る岳さんいわく「紫式部は幼い時分に祖母と母を失い、頼りにしていた姉とも死に別れた」そうで――。 本郷奏多さん演じる花山天皇に入内した井上咲楽さん演じるよし子は、そのまま「夜御殿」で…ってそもそも「入内」とは? * * * * * * * ◆亡き母と姉への思慕 何かを失うことへの不安と落胆は、思春期のだれもが経験する繊細な感情です。紫式部は他に増して鋭敏な感覚で、そんな自分の心のあり様(よう)を、とらえていたのかもしれません。 紫式部は二、三歳のころに母親を亡くし、その3年後に祖母を亡くしていますが、母との思い出は、ほとんどなかったようです。 紫式部の母親は藤原為信(ためのぶ)の娘と伝えられますが、どのような人であったかという記録はありません。為時と結婚し、三人の子を産んだのち、この世を去ってしまったのです。 紫式部は次女であり、末っ子。兄(惟規)と姉がいたことになります。 なお、紫式部の本名は「香子(かおるこ)」と推察されていますが、確証はありません。 天皇家の近親者など、よほどのトップ階級は別として、女性の名は公(おおやけ)には使われず、父や夫の役職名にちなんだ名称で通していたようです。 母の死後、父・為時は再婚しておらず、家族は父と兄と姉だけで、「父子家庭」ということになります。 身のまわりの世話をする女房(侍女)などはいたでしょうが、あくまでも他人ですから、紫式部は、「母親の無償の愛を受けることなく、育った」ことになります。 母とは何か。母の子にそそぐ優しい眼差しとは、どういうものか……紫式部はきっと、想像のなかで、憶えのない母への思慕をつのらせていったのではないでしょうか。
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