カシュガルにもやってきた聖火 北京五輪の熱狂はウイグル人には届かず
僕が訪れたのは2008年6月、北京五輪の年である。カシュガルの街は聖火リレーが到着する前から街はざわついていた。人民公園では事前に選ばれた者だけの式典の練習が行われていた。 当日は朝から一般市民も外国人にも外出禁止令が出され 聖火リレーを見るどころか、ホテルの前から1ブロックしか外出できなかった。事前に選ばれた者だけが人民公園で式典を見ることができた。ほかは自宅でテレビで見るしかない。この日は長距離バスもローカルバスも あらゆる移動手段がストップしていた。テロ防止の厳重警戒だ。そして聖火リレーの前後は道路に検問所が置かれ厳しく取り締りされていた。“検問所では漢民族はフリーパス、ウイグル族ばかりが疑いを掛けられ差別されている。 「検問ばかりでビジネスにも支障が出てくる。これではウイグル族だけが貧乏になっていくし、彼らは知っていてわざとやっている」とガイドは怒りを露わにしていた。中国政府のメンツをかけたオリンピックを冷めた目で見ずにはいられない様子だった。 中国 ウイグル自治区 2008年 (写真・文:村田次郎) ※この記事は「【フォトジャーナル】漢民族同化政策 中国・新疆ウイグル自治区 村田次郎」の一部を抜粋したものです。