梶芽衣子「77歳で亡くなった母と同い年に。映画『曽根崎心中』の増村監督は、日活にいた20代から憧れ。大切な2人に捧げる、6年ぶりのアルバム『7』」
母に捧げる気持ちも込めつつ、もう一人、アルバムができたことを報告したい方が、映画監督の増村保造さんです。若尾文子さんと数多くタッグを組み、その魅力を引き出された監督の作品が私は大好きでした。 日活にいた20代から、調布に広がる畑の向こうに見える大映撮影所にいらっしゃる監督と「いつかお仕事ができたら」と憧れたものです。のちに映画『曽根崎心中』を撮っていただきましたが、私にとっては企画から立ち上げ、上映後は各所で高く評価していただいた思い出の作品です。 監督は、とにかく人間が大好き。目の前にいる相手がどんな人物か、何ができるのかを徹底的に観察しています。あるとき食事をしたお店にカラオケがあって、監督から「梶さん、ちょっと歌ってくださいよ」と言われました。リクエストは、内藤やす子さんの「弟よ」。 私は内藤さんのファンでしたから、「よかった、知っている歌で」と思いながら歌ったんですが、歌い終わった私に監督は「あなたは、歌う使命感を持ったほうがいい」などとおっしゃる。突然のことだったので、つい「なら監督、私に詞を書いてくださいよ」と軽い気持ちで言葉を返してしまいました。 驚いたことに、その夜のうちに私のマネージャーに連絡があり、「梶くんがこれまでに出したレコードを全部送ってほしい」とおっしゃったそうです。そして1ヵ月も経たないうちに「真ッ紅な道」「恋は刺青」の2つの詞が届きました。同封された手紙には、「ちょっと妖しい詞を書いてみた」「気に入らなければ書き直す」とありましたが、監督らしい情念と美意識に彩られた素晴らしいもので。 初恋を刺青に喩えるあたり、監督でなければ書けない詞ですよ。いまとなっては確かめようもないですけれど、監督はきっと私にもっと女を表現させよう、意識させようと思ってらしたんじゃないでしょうか。 私としてはすぐにでも曲にしたかったですし、たびたびレコード会社に「この詞に曲をつけたい」というご相談もしましたが、監督のお名前を出すと、「とても無理でございます」と皆さん恐れおののいちゃうの。(笑) そうこうしているうちに、監督は86年に死去。お加減が悪いこともまったく知りませんでしたから、朝刊で訃報を目にしたときはショックで、しばらく記事の内容が理解できないほどでした。