日本ラグビー伝道師として新たな歩み 「小さな巨人」田中史朗、未来へつなぐ想いとは
小さな体に、大きな闘志。それでいて、ちょっと泣き虫。世界を驚かせた日本代表の躍進を、最前線で支えてきたフロントランナーがその戦いを終えた。しかし、決してラグビーへの情熱をなくしたわけではない。 【画像】小さな体に大きな闘志 情熱的に活動する田中史朗 田中史朗選手(39) 「一生懸命頑張ってたんですけども、最終的に…しんどかった」 新たなラグビーロードを歩み始めた田中選手。彼が危惧する日本ラグビー界の課題とは?
■コーチとして「ラグビーの普及活動」を
これまでジャパンの先導者として、世界の大男たちと戦い続けてきた「小さな巨人」が引退を決断した。元日本代表スクラムハーフ・田中選手。2011年に初出場したラグビーワールドカップでは、1勝もできずにジャパンはプール戦敗退。これが田中選手のラグビー人生の大きな転機となった。 田中選手 「2011年のワールドカップで日本のラグビーの人気を下げてしまったこと。2011年でもし僕たちが勝っていれば、もっと日本ラグビーの歴史は変わってたと思いますし、もしかしたら上に行ってたかもしれない。1勝もできずに日本に帰ってきてラグビー人気を下げてしまったので、誰かが世界に出て、日本のラグビーというものをアピールしないといけない」 「日本代表を強化したい」その強い思いで田中選手は世界に飛び出す。2012年にニュージーランドに渡ると、翌年、日本人初のスーパーラグビープレーヤーとして活躍。その経験を日本代表に持ち帰ったことが2015年ワールドカップで南アフリカ代表を破る「ブライトンの奇跡」につながった。 さらに4年後のワールドカップ日本大会が開催された。日本ラグビー大躍進の中心人物であり、2024年まで日本ラグビー界のフロントランナーとして走り続けてきた。 引退会見でも言葉を詰まらせていた「涙のヒーロー」。そこで語った次の進路は、田中選手らしい選択だった。 田中選手 「今後についてはNECグリーンロケッツアカデミーのコーチとして、ラグビーの普及活動を続けていく予定です」 「グリーンロケッツアカデミー」はNECグリーンロケッツ東葛が技術向上と世界に通用する人材育成のために運営するアカデミーだ。かつてチームに所属していたトッププレーヤー達が、子どもたちにラグビーの楽しさを教えている。 田中選手 「まずは子どもたちにしっかり教えてあげて、ラグビーの楽しさを知ってもらって、その後少しずつレベルを上げていく。いきなり高いレベルでコーチングするようなスキルを持っていないので、まずは子どもたちに基本のベースを教えてあげられるようなコーチになって、そこからレベルを上げていきたいと思っています」