《連載:ウガンダ支援の現在地》(3) 茨城新聞記者ルポ 小学卒業ままならず 孤児施設 教育やケア
首都近郊の町・ナンサナ。エイズや紛争で親を亡くした子どもを支援する施設「あしながウガンダレインボーハウス」で、子どもたちが昼食に目を輝かせた。バナナを蒸してつぶしたウガンダの伝統食「マトケ」とゆでた米、牛肉の入ったスープ、スイカが皿に山盛り。「ここに来る子どもたちにとっては、クリスマスのごちそうのような食事なんです」。あしなが育英会(東京)の岡崎祐吉理事(55)は説明する。 ■設立 阪神淡路大震災を機に、世界の災害孤児との交流事業を開始。2002年、アフリカの中でもエイズ遺児の多い同国に、初の海外事務所を設立した。孤児千人が登録し、教育・進学支援や心のケアを受けている。 同国の貧困家庭の子どもたちは、小学校卒業すらままならない。授業は無料で、就学率は9割を超えるものの、修了率は5割ほど。「卒業に必要な試験の受験費や制服代、給食代が払えなくてドロップアウトする子もいる」と岡崎さん。 育成会は教育支援事業「テラコヤ」を実施。小学校に通えない子ども100人が1~5学年に分かれ、平日は毎日、テラコヤで学ぶ。公的な学校ではなく、5年生を終えると、奨学金をもらって地元の小学校に編入する。 ■人生 案内してくれた育成会のルベガ・ロナルドさん(35)も、かつて支えられた1人。中学1年生の時、村を回っていた岡崎さんと出会い、人生が変わった。 2歳のころ、エイズで両親を失ったロナルドさん。一緒に暮らす姉は小学校の教師で「学校にかけ合い、給与をもらう代わりに私を小学校に通わせてくれた」。どんなに空腹でつらくても勉強し続けた。 育英会の支援でほかのエイズ孤児と交流するようになり、「初めて自分の体験を話せた」。エイズで亡くなるのは恥ずかしいという風潮があり、誰にも親のことを相談できずに負い目を感じていたという。 学び続けたロナルドさんは、育英会の支援により早稲田大に進学した。 ■交流 この日、松岡中(茨城県高萩市)の内山俊太教諭と愛宕中(同県守谷市)の小川知美教諭、水戸農業高(同県那珂市)の堀内雅人教諭、牛久栄進高(同県牛久市)の牧之段はるか教諭らが同所を訪問。子どもたちと触れ合い交流した。 訪問中に「こんにちは」とあいさつしてきた少年がいた。先生たちに現地語のガンダ語に加え、英語や仏語、日本語を教わっているという。「いつか世界中の言語を翻訳できるようになりたいんだ」。小さな体で大きな夢を語った。
茨城新聞社