『虎に翼』朝ドラが同性婚や夫婦別姓を描く意味。マイノリティは社会的意義のために存在しているわけじゃない【横川良明の『虎に翼』隔週レビュー21•22週】
「僕らだけいつも理由を求められる」 この2週間、『虎に翼』を観ていて、いちばん心に残った台詞はこれでした。轟(戸塚純貴)の知り合いである秋田(水越とものり)と千葉(ニクまろ)の同性カップル。彼らに同性に対する恋愛感情を自覚したのはいつか寅子(伊藤沙莉)が尋ねたときに、千葉がそう答えたのでした。 【写真】中村中、水越とものりらLGBTQ当事者が出演したことも話題に。『虎に翼』第21週の場面写真(5枚) 同性を好きなること。結婚しても、姓を変えたくないこと。同性婚と夫婦別姓を一括りで語ることは乱暴かもしれませんが、大多数と違う選択をしたとき、理由を求められるという意味では同じ。その人にとっては、ただそれが自然だからそうしただけ。なのに、イレギュラーなものとされ、正当性を認める代わりに理由を要求される。マイノリティは、マジョリティを納得させるために存在しているわけではないのに。 みんなそれぞれにこだわりがある。譲れないものがある。そして、その尊厳が守られるべきことは憲法で保障されているはず。だけど、現実はなかなか条文通りにはいかない。今回は、『虎に翼』で性的マイノリティや夫婦別姓が描かれたことの意味を改めて考えてみたいと思います。
「朝ドラらしさ」ってなんだろう?
轟が恋人・遠藤(和田正人)のことを寅子に打ち明けたところから始まった第21週。結婚することによって姓が変わってしまうことへの寅子の戸惑いと、どんなに結婚したくても法律婚ができない同性カップルの葛藤を交差させながら、結婚とは何か、家族になるとはどういうことかが描かれていきました。 ここで大きなハレーションを巻き起こしたのが、朝ドラで性的マイノリティを描く必要性でした。そもそもかつて轟が花岡(岩田剛典)に対する恋心をよね(土居志央梨)に指摘されたときから、轟がゲイであることにショックを受ける視聴者の声が一部でありました。さらに、遠藤という恋人が登場したことを受け、中には「轟は、よねさんとくっついてほしかった」という意見も。 個人的には、こうした反応が理解できませんでした。なぜ轟がゲイだとがっかりなのか。どうして轟とよねを恋愛関係にしたがるのか。オリンピックでメダルをとった男女ペアにも「付き合ってるんじゃないの?」と野暮な詮索をする声が溢れ、それぞれが結婚を発表したときも残念がる人たちが一定数いましたが、この手のリアクションをする人が本当に苦手です。他人を、自分の理想の鋳型に押し込める。それは、とても敬意のないことのように感じます。 性別適合手術を受けた山田(中村中)を含め、LTGBQが一挙に登場したことに対して「わざわざ朝ドラでやることじゃない」という批判もありました。僕が寅ちゃんなら「はて?」と首を傾げるしかありません。 そうおっしゃる人はきっと長きに渡って朝ドラを視聴し続けているのかもしれません。長い歴史の中で築かれた「朝ドラらしさ」なるものに安心と愛着を寄せているのでしょう。 けれど、『虎に翼』というドラマ自体が、「男らしさ」や「女らしさ」をはじめとした固定的な性役割に疑問を突きつけ、封建的なルールによって個人の尊厳を踏みにじられている人たちを解放する物語。その『虎に翼』に「朝ドラらしさ」を求めること自体がお門違いですし、もしそういった「朝ドラらしさ」があるとしたら、その枠をどんどん打ち破っている現状こそ「『虎に翼』らしい」と言えます。
横川 良明
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