100mの桐生祥秀は終わったのか?反撃の一手とは?
国内に舞台を移すと、4月23日の出雲陸上で10秒08、同29日の織田記念では再び10秒04を、今度は向かい風0.3mという悪条件のなかでマークした。伊東強化委員長が続ける。 「私が現役のときもそうでしたが、国内で一定のタイムを出したら世界で試し、世界に認められたいという気持ちがアスリートには出てくる。桐生君もちょうどその時期だったのではないか」 5月にダイヤモンドリーグ上海大会に出場した桐生は、国内大会をはさんで6月上旬にはプラハとローマを転戦した。山縣とケンブリッジの体が悲鳴をあげたように、「日本人初の9秒台」を追い求めたあまり、メンタルの部分で疲弊していた可能性も捨てきれない。 「桐生君一人で9秒台を背負いすぎたのかな、というのが現実な思いです。向かい風のなかを10秒0台で走った織田記念を見ていても、正直、ちょっと可哀そうに見えたというか。もっと伸び伸びと彼のよさが出るように、我々がサポートできなかったところは、大いなる反省点だと感じています」 こう振り返る伊東委員長は、いま現在はオランダに練習拠点を移し、同国代表コーチを務めるアメリカ人のレナ・レイダー氏に師事しているサニブラウンの急成長ぶりにも言及している。 「コーチが立てたスケジュールに則って、もし疲れたら大会をキャンセルして、次の大会へ臨む。コーチは今年の最高のパフォーマンスを出すのはロンドンだと考えているはずですし、その意味ではいつ、どのタイミングかというのはわかりませんが、9秒台では走れると思っています」 日本人にとって未知の世界への扉を自らの力で開けたからこそ、誰よりも先に9秒台に到達したい。桐生自身は「失敗だったとは思っていない」と日本選手権までの軌跡に自信を込めたが、使命感にも近い9秒台への思いがプレッシャーに変わり、精彩を欠いた決勝での走りにつながったのか。 得意とする200mを重要視していたサニブラウンが無欲で、地元・大阪出身の多田が大声援を力に変えて伸び伸びと走った姿とは、明らかに対照的だった。もっとも、桐生に関して忘れてはいけないこともある。 通算9度を数える10秒0台は他の追随を許さない日本歴代最多であり、キャンベラと織田記念でマークした10秒04は今季の日本人1位だ。最強の座は譲っても依然として最速である、という理由から世界陸上の400mリレーメンバーには選出された。 一敗地にまみれた桐生に必要なのは、背負ってきた重い十字架を捨て去る勇気だ。サニブラウンが「誰がいつ9秒台を出してもおかしくないし、一人出せばどんどん続くと思う」と語るように、歴代で最も充実している日本短距離陣にとって、9秒台突入はもはや通過点と言っていい。 2020年の東京五輪から逆算して、9秒台突入の先にどのようなゴールを描くのか。主役の一人となる21歳は「桐生がいるから盛り上がる、と言われるようにしっかり練習したい」と一時の敗戦は認めても、ファイティングポーズは失っていない。 (文責・藤江直人/スポーツライター)