47歳でヨガインストラクターへの転身。「自分らしさ」を求め地元へUターンした女性の「光と影」
コロナ禍で社会が大きく変わったことにより、自分の働き方を見つめ直す人が増えました。 一度大きく体調を崩したことから、生活の質を改善し、より心豊かな生活をしようと、長年勤めた会社を退職し47歳でヨガインストラクターとして起業した寺本真弓さんもその一人です。 「会社での仕事はやりがいがあったけれど、仕事中心に生きてきたから『私らしさ』を問われたときに自分自身の話ができず、危うさを覚えたんです」 そう振り返る寺本さん。「自分自身」を仕事にするため、起業型地域おこし協力隊の制度を活用して地元のUターンした寺本さんに、「自分らしく働く」ことを選ぶまでの道のりを聞きました。
【お話しいただいたのは】 寺本真弓さん ヨガインストラクター。2023年春に南相馬市にUターンし、企業型地域おこし協力隊として活動を開始。
英語一筋だった学生時代。自分の特技を生かして就職
「中学生の頃に、映画『Stand by me』を観て俳優のリバー・フェニックスのファンになりました。彼と話がしたくて、英語を話せるようになろう!と決め、高校・大学とずっと英語を勉強して」 そう語る寺本さん。米国留学を経て、英語を使える仕事を探している中で、海外との取引を始めた部署があることに惹かれ、2000年に都内のIT企業に就職しエンジニアになりました。 産業・流通系のエンジニアとしてアプリ設計・開発、顧客提案、契約業務を担当した後、アメリカの関連会社にて米国でのアライアンス業務や事例調査を行いました。帰国後は、事業計画立案サポート、国内パートナーとの協業サポートなどを担当した後、人材開発の部署に異動。新卒・中途採用やグローバル人材育成を手がけるようになりました。 エンジニアから人事部門への異動となると、転職にも匹敵する大きなキャリアチェンジです。迷いはなかったのでしょうか? 「もともとエンジニアの勉強をしていたわけではなかったので、ITのスペシャリストたちの中でどうやって仕事を続けていこうと考え直したんです。私には留学経験もありますし、グローバル人材育成であれば自分の経験を生かして働ける。そのほうがより会社に貢献できるし、自分自身も成長できるなと考え始めて。ちょうど人材開発の部署に空きが出たタイミングで声をかけていただき、渡りに船でした」 こうして一度目のキャリアチェンジを適材適所と受け入れ、新しいキャリアを形成した寺本さんですが、二度目は状況が違いました。 「15年勤めたタイミングで、大きな会社編成とそれに伴う人事異動があったんです。このときは、自分がこれまでやってきたことと関係なく、会社の一存で自分の人生が大きく左右されてしまうことに疑問を覚えてしまって」 仕事はやりがいがありましたが、40歳を目前としたときに、自分の体力・気力の面でいつまで働き続けられるのか不安にもなったといいます。 「次第に、死ぬまで続けられることを仕事にしたいと考えるようになっていました。思い切って退職し、自分の働き方を考え直すことにしました」 一社目の会社を退職したあとは、まだやりたいことが定まっていなかったため、今の自分にできることをやりながら、今後の人生について考えようとコンサルティングファームに入社した寺本さん。コンサルタント育成のための研修企画と運営、グローバル研修や中途入社者研修の企画、運営、サポート全般を行っていました。