「私たちが死んだ後はどうなるのか」元チャットモンチー・福岡晃子 4歳の息子が発達障害と診断され「その場で泣いてしまった」
── 周りの方は、なぜ気づいていたのでしょうか? 福岡さん:たまたま自閉症の特性を知っている人が近くにいたのですが、数字に過剰に興味を示したり、何か見せたいものがあれば「あれ」と指すだけではなくて、大人をそこまでグイグイ引っ張っていったり。あと、バイバイするときは相手に手のひらを向けてバイバイするのではなく、自分に向けてバイバイするとか、見る人が見ると違和感があったみたいです。 でも、落ち込んでばかりでいられないので1か月の間に気持ちを切り替えよう。仮に発達障害と言われてもそういう特性なだけ。診断がついたとしてもうちの子は、昨日と今日で変わらないねと思って、病院で検査をして当日には結果を教えてもらいました。
■支援学校でライブをしていたはずが ── 病院で検査結果を聞くと発達障害「自閉症スペクトラム中等度」と診断名が告げられました。 福岡さん:ある程度覚悟して行ったはずでしたが、いざ診断名を聞かされると全然、覚悟ができてなかったですね。どこかで違うだろうって思いたかったのか、その場で泣いてしまいました。診断を受けなければ今までと変わらず生活していたと思うんですよ。でも違う扉を開けてしまったような。そのときは将来の話まで説明を受けなかったのですが、帰宅して自分で自閉症について調べてみると「将来的には自立が難しい」と書いてあるのを見つけて、さらにショックで。私たちが死んだ後はどうなるんだろうって。
── 診断を聞いて、なかには自分を責めてしまう人もいるようです。どう受け止めましたか? 福岡さん:何が原因だったのか考えなくもなかったし、ショックを受けたのも事実です。でも、うちの子が悪いと言われているわけではないので、子どもに申し訳ないと思うのは失礼かな、とは思いました。 いっぽうで、チャットモンチー時代に友達の縁で、支援学校でシークレットライブをすることがあったんです。そのライブがすごくよくて、バンドが完結してソロになった後も活動は続けていたので、人よりそうした理解があると思っていたつもりでした。でも、自分の子どもが自閉症スペクトラムといざ診断されたからといって、ショックを受けちゃう自分にもショックで。「子どもたちを本当に理解していたかというと、していなかったんじゃないか。差別視していたんじゃないか」と思いました。