桂ざこばさん「困るがな」 脱サラして弟子入り志願…来年で芸歴20年、そうばさんの入門エピソード
落語家・桂そうばさん(46)
「私、30年近く前に青雲高校を卒業しました。部活してない人を『帰宅部』って呼びますよね。私は寮生だったので『帰寮部』。エースでしたわ」。8月下旬、長崎市内で開いた落語会。軽妙な語り口で、冒頭から笑いを誘った。 【写真】同級生や恩師と写真に納まる高校時代の桂そうばさん 本名は熊澤誠。1994年に地元・福岡市の中学を卒業後、医師を志して青雲高(時津町)に入学したが、待っていたのは挫折だった。「頭の良い同級生が多かった。明らかに実力が違う。自分のちっぽけさが見えた」。医学部への挑戦は早々に諦めた。 落語との出合いは、進学先の神戸大だった。入学直後のクラブ勧誘で面白い先輩がいた。「この人と一緒にいたら楽しいかも」と落語研究会に入った。ただ、上方落語は関西弁。慣れ親しんだ九州弁とのイントネーションの違いに苦労した。折を見て寄席に通い、上方言葉を身に付けた。 「就職しないと親に申し訳ない」という気持ちから、卒業後は大手製薬会社に入社。医薬情報担当者(MR)として、病院などに薬を紹介して回った。2、3年目ごろから「本当にやりたいことは、別にあるのではないか」と、もやもやした思いが募った。脳裏に浮かんだのは学生時代に見て、抜群の輝きを放っていた桂ざこばさん(今年6月に死去)の高座だった。 一念発起し、2005年秋に27歳で退職。ざこばさんに弟子入りを志願した。「やめとき。仕事を続けたほうがええて」「いえ、辞めてきたんです」「なんでそんなことすんねん。困るがな」-。1カ月後、入門が認められた。「給料は会社員時代の10分の1になったけれど、むちゃくちゃ楽しかった」 初高座は半年後、京都の拘置所への慰問。師匠が稽古をつけてくれた当時の唯一の持ちネタを披露した。「約300人の視線がこちらに集まっていて緊張した。思いっきりすべった」。今では懐かしい思い出だ。 来年で芸歴20年。こつこつと増やし続けた持ちネタは、70本近くになった。上方落語界の若手が集う大会での優勝など活躍が認められ、3月には「2代目桂惣兵衛」を襲名する。 母校の青雲学園で落語を披露するのが一つの目標だ。「かつての自分と同じように『周りが賢すぎて…』と戸惑ったり悩んだりしている生徒もいると思う。彼らに『道は一つやないで』と伝えたい」