【対談】堀内恒夫(元巨人)×福本豊(元阪急)「V9巨人のエース」と「世界の盗塁王」のTALKバトル!<前編>
初対決で“1勝1敗”
福本豊氏[写真左]、堀内恒夫氏[写真右]
巨人と阪急。セ、パの王者として幾度となく日本一を懸けた死闘を演じた両雄だ。今回は2023年の新春企画としてV9巨人のエース、堀内恒夫氏と、阪急の斬り込み隊長にして、世界の盗塁王・福本豊氏の豪華対談を前後編の2回に分けてお届けする。 インタビュー=井口英規、写真=橋田ダワー、BBM 福本さんが1947年生まれ、堀内さんが1948年の早生まれと同学年の2人。初対決は69年の日本シリーズだったが、このとき新人だった福本さんは打席に立たず、代走と守備固めのみ。一方、プロ4年目、すでにエース格だった堀内さんは2勝1敗で阪急を破っての日本一に貢献している。 2人が互いのチームの中心として対決したのが、71年だ。 2年連続盗塁王に成長した“走る男”福本さんと、圧倒的な投球センスで“走らせない男”として定評があった堀内さん。 塁上の攻防は、まさに“最強の矛(ほこ)”と“最強の楯(たて)”の戦いでもあった。 ――きょうは関西にお住まいの福本さんにわざわざ日帰りで上京いただきました。そこまで無理をさせておいて今さらですが、2人は仲がいいのでしょうか(笑)。 福本 ええよ、ケンカしないもん(笑)。 堀内 そうそう、ケンカしないし、仲もいい(笑)。でも、試合だけはダメ。お互いに大変だったよ。 福本 いや、大変やったね。走れんかったもん。ホリは、いろいろなスタイルでほうれるからね。肩が真っすぐだけじゃなく、開いて投げたり、投球とけん制のリズム、タイミングを1球ごとに変えられた。分からへんわと思っているうちに終わったみたいな感じ。すぐ言ったもん、「一番、走るのが難しいのがホリや」って。ほかは同じようにクイックされても、リズム変えたらなんとなく分かるんやけどね。 ――福本さんが主力になっての対巨人の日本シリーズは71年が初めてです。堀内さんは事前に福本さん対策は考えていたんですか。 堀内 もちろん。日本シリーズはね、巨人はものすごくデータを取るのよ。阪急以外のほかのパ・リーグの人からも事情聴取する。そうすると、ほんといろいろなことが出てくる。微々たるものがほとんどだけど、それを組み合わせていくんだ。ただ、福本というのは特別だった。俺、3人だけだったからね、「こいつ速いな、刺せんぞ」と思ったのは。中日のウィリー・デービス、日米野球のときのドジャースの一番バッター、モーリー・ウィルス、そして福本さ。どうやったらアウトにできるのかなと思った。(少し小声になって)あのときは森さん(森昌彦。現・森祇晶)の肩が少しこうだったからさ(手で少し落ちていく仕草)。 福本 でも、森さん、小さくほうってベースの上やもんね。第1戦(10月12日、西宮)は、ストライク一発でアウトになった(9回)。用意ドンで、ガンとアウトになって、それから動けなかったな。慎重になり過ぎたね。アウトになったらあかん、チャンスつぶしたらあかんになりました。シーズン中だったら「いってまえ!」となるんやけど。しかも、ずっと巨人に勝てなかったからね(67年から3連覇も、日本シリーズは、すべて巨人に敗れた)。 堀内 ただ、刺されたのは2回目だよね。1回目の盗塁は成功している(7回)。俺は完投で勝ったけど、福本を4回出塁させちゃったんだよな(3安打1四球)。2回目はノーアウトだったし、成功だったら危なかったよ(2対1の9回先頭打者で福本さんがヒットで出塁し、走った)。 福本 あれでセーフになったって、点が入っていたかどうか分からへんよ。盗塁はチャンスをつくって広げられるけど、その先は分からへん。 ――福本さん、盗塁は対キャッチャーですか、ピッチャーですか。 福本 ピッチャー。キャッチャーは関係ない。それを言ったらノムさん(野村克也、南海ほか)が喜んだ(笑)。でもね、僕、ノムさんでよう死んでますよ。よう走った言われますけど。 ――森さんは関係なかったわけですね。 福本 ただストライクが来たからね。 堀内 森さんも若いときはすごい肩だったらしいよ。俺らのときは年齢的にも落ち気味。でも・・・
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週刊ベースボール