もはや「会社の飲み会」は無意味になってしまった…バブル期から一転、その「納得の理由」
“飲みニケーション”はすたれてきている――そう感じている人も多いだろう。 職場の飲み会で上司や同僚とお酒を飲みながら、仕事やプライベートの話をする飲みニケーション。酒の席で部下が将来の展望を話したり、上司にお酌してヨイショしたりと、飲みニケーションならではのお決まりもあったものだ。 【マンガ】「長者番付1位」になった「会社員」の「スゴすぎる投資術」の全容 近年ではハラスメント対策やコロナ禍による外出規制により、飲み会そのものを敬遠する流れも顕著だが、いまだに飲み会という空間がチームビルディングを高めるイベントとして認識している人もいる。 記事前編は「『会社の飲み会に行きたくない』人が増えている…『飲み会』と『出世』の意外な関係が明かされた」から。
薄れゆく飲み会の価値
飲みニケーションが効果を発揮する場面もあるとはいえ、先述したように飲み会そのものを回避する流れは、今の日本社会では強くなりつつあると言えよう。ハラスメント対策ももちろんだが、参加することで発生するメリット以上に、シンプルに飲み会の価値が薄れてきたことも理由だと曽和氏は指摘する。 「企業は飲み会のようなインフォーマルな空間を、業務内容に意識して取り入れるようになってきました。たとえば雑談を交えながら社員の状況を伺う『1on1』は、上司と部下のみしかいないという普段の職場とは異なる空間となっており、社員の腹の内を明かす場所として多くの企業が導入し始めています。 ほかにも会社独自のイベントやレクリエーションの開催に力を入れたり、クラブ活動に支援したりと、フォーマルな空間以外の居場所を作ることで社員同士の交流を深め、生産性を上げようと画策する企業も出てきています。結果、わざわざ飲み会を開いてコミュニケーションをとるという積極性が薄れてきた感は否めません」
労働者への負担が増した
現在はデジタル化と情報技術が急速に発展したことも、飲み会開催への影響があるそうだ。 「デジタル化や情報技術が進歩したことで作業効率が上がり、一人あたりの生産性も高まった一方で、より多くの業務に追われるようになりました。つまり、昔よりもはるかに労働者ひとりに対する負担は増しているのです。 『リゲイン』のCMで『24時間戦えますか。』というキャッチフレーズが誕生したバブルの時代には、終業時間が深夜帯に突入してからも飲み会に行こうとする猛者もいた、というエピソードがしばしば語られます。 長時間労働も今より横行していたバブルならではのこの小噺に、昔の人間は体力があったと感心する人もいますが、今よりも効率化が果たされておらず、ダラダラと長時間働いていた傾向にあったので、現代よりも余力のある人間が多かったんです。今の労働者は、昔に比べて生産性が高い分、疲労も重なっているので、飲みに行こうとする人が減っているのではないでしょうか」