石川・金沢の“金箔”、伝統を日常に生かす先駆者 連載「ときめき、ニッポン」第14回
一方で、その道のりは決して平坦ではなかった。「もともと金箔は仏教建築や仏具において、極楽浄土を表すために用いられるもの。その扱いは格式高くあるべきという考えも根強く、日用品に金箔を貼るということがなかなか理解されない時代もありました」と浅野社長は振り返る。
現代アートと金沢箔が作る荘厳な世界 先日、金沢箔とアートの融合を象徴する作品を拝観するために京都を訪れた。弘法大師・空海が東寺で真言宗を立教開宗して1200年を迎えたことを祝して、現代アーティストの小松美羽氏が奉納した作品が特別公開され、同作の箔加工を箔一が担当した。浅野社長は「現代アートの作品づくりに参加することは金沢箔の新しい可能性を広げるものであり、アーティストとの協業は今後さらに力を入れていきたい」と語った。「これまで行ってきた実用的なアイテムとのコラボはある意味革新的だった。今後は実用の枠を超えて、ファッションやアートの領域で付加価値を高め、より“尖ったもの”に挑戦していきたい」と加えた。
“婆娑羅”と金沢箔
無常、をかし、雅、幽玄、わび・さび、粋、かわいい、萌えなど、日本には思いつくだけでも沢山の美意識がある。山本寛斎事務所に入社して間もない頃、寛斎や上司が頻繁に口にしていたのが、婆娑羅(ばさら)という言葉だった。婆娑羅とは鎌倉時代末期から安土桃山時代にかけて流行した風潮をあらわす言葉で、広義には「派手な格好で、身分の上下に遠慮せずに振る舞う者」を指す。今の僕は「自身を誇示する格好をし、権威や体制に反撥し新時代を創造すること」だと考えており、金沢箔もその一つだと思う。瞬間的な驚きと幸福感を与える金箔は婆娑羅的だし、格式高くあるべきという金箔の固定観念を崩し、用途を広げてさらに価値を高めようとする箔一の姿勢もまさしく婆娑羅だ。ファッションにしてもインテリアにしても、生活する上で必要最低限の機能を求めるのであれば、おそらくそのほとんどが無用になる。それでも僕は、“心をワクワクさせてくれるもの”から生きるエネルギーをもらっている気がしてならないし、金沢箔にもそんな魅力がある。