進学校から国立大進学、ソニー勤務 「耳が聞こえない」起業家が「聞こえたらいいのに」と思ったことはない理由|VERY
「どうしたらできるようになるか」考えるきっかけをくれた母と
──2歳で難聴だと判明してからは、お母さまが「この子が身に付ける言葉は、すべて自分にかかっている」と思いながら、牧野さんに言葉を教えたそうですね。 母はきっと、娘の将来を案じていたからこそ「特別扱いはしない」という覚悟をもって育ててくれていたんだと思います。母自身はどちらかと言うと、大らかでポジティブなタイプですが、私の耳がまったく聞こえていないことがわかった当日は、記憶がすっぽり抜け落ちているそう。医師から告知を受けたその足で、友人宅に寄って話をしたらしいのですが、「何を話したかまったく覚えていない」と聞いたことがあります。当時のショックは相当なものだったはずです。
──その後、家庭学習に加えて療育機関でも学んだことで、相手の口の動きを読み取って言葉を理解する「読唇」と、自分自身の発音で言葉を発する「発話」を習得した牧野さん。幼稚園から中学まで地元の一般校に通い、高校は、大阪の進学校である天王寺高校に合格しました。 正直、中学までは勉強が得意だと思っていました。でも、高校に上がると、周囲は優秀な子ばかり。授業のスピードも速くなり、内容も難解になったことで、読唇で授業内容を理解することが難しくなってしまい、授業についていけなくなってしまいました。追試もパスできず、再追試、再々追試、なんてこともありました。 幼稚園から一緒の友だちも多かった中学までとは違って、高校では一から人間関係を築く必要もあり、その点でも苦労しました。いつも私をサポートしてくれる親友に甘えすぎてしまい、相手の負担に気づかずに関係をこじらせてしまったり……。勉強も人間関係も初めての挫折を味わったのが高校時代ですが、今思えば、そこから学んだことも多かった日々です。
困難もそこから得た学びも多い高校生活でした
「安心できる居場所」がたくさんあるから救われた
──高校卒業後は、神戸大学の発達科学部に進学されます。 心理学には高校に入学する頃から興味がありました。私は相手の口の動きを読んで会話をしているので、人の顔をよく観察します。そのせいもあって、表情から感情や考えを読み取ることが得意なのですが、日頃は無意識に行っているにすぎません。学問の側面からも人の心を学んでみたい、と思ったことがきっかけです。 入学当初は、その先の明確な夢があったわけではないのですが、大学で学ぶうちに人の心理に興味がどんどん湧いてきて……。就職活動では、その会社でやってみたいと思う職種を探しながら会社選びをしました。両親は、障害があっても働きやすい職場環境がいいだろうと、薬剤師などの資格職か公務員になってほしかったようなのですが、私には向いているとは思えなかったんです。ソニーでは希望通り人事部に配属されましたが、海外マーケや製品企画などそれぞれの会社でやってみたい仕事を探して就職活動をしました。