「もういない」発言でも話題に アイヌの歴史と文化とは? 谷本晃久・北海道大学大学院准教授
2014年の8月、札幌市議の金子快之議員が「アイヌ民族なんて、いまはもういない」とツイッターに書き込み、物議をかもした。政府の内閣官房アイヌ総合政策室は昨年、アイヌ民族に対する国民の理解度について調査する方針を示したが、アイヌに対する国民の理解度は、けっして高いとは言えないとの指摘もある。そもそも、アイヌとは何なのか。歴史や文化はどんなものなのか。アイヌの歴史に詳しい、北海道大学大学院の谷本晃久准教授に寄稿してもらった。 -------------------- アイヌ:ainuとは、アイヌ語で「人間」あるいは「男性」を指す言葉である。同時に、民族名称としても用いられる。政府には現在、内閣官房長官を座長とするアイヌ政策推進会議があり、その事務局として内閣官房にアイヌ総合政策室が置かれている。2008年6月6日に、衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択されたことは記憶に新しい。 北海道が2006年に実施した統計によると、北海道在住のアイヌ人口は約23700人、東京都が実施した1998年の統計によると、都内在住のアイヌ人口は約2700人とされている。アイヌとしていまを生きる人々は、確実に存在している。
アイヌの歴史と文化
それでは、アイヌの人々の存在を、歴史的に考えてみよう。その舞台は、アイヌ語地名がみられる範囲である。北海道の都市名である札幌や稚内はもとより、国後・シュムシュといった千島列島の島名や、ポロナイスクなどサハリン南部の地名もアイヌ語だ。のみならず、地鶏で有名な比内(秋田県)など北東北の各地にもアイヌ語地名はみられ、それは『日本書紀』や『続日本紀』といった古代日本の歴史書にも記録されている。 アイヌ語を話す人々の歴史は、こうした地域に、時代に応じて変化しつつ古くから展開してきた。日本と刀を交えた15世紀のコシャマインや17世紀のシャクシャインの名は、教科書にも登場するから、ご記憶の方も多いだろう。 江戸時代後期には、アイヌの居住範囲は北海道・千島列島・サハリン南部に及んでいた。このうち北海道のアイヌは南に接する日本との関係が深く、それに加え、千島列島中北部のアイヌはロシアとの、サハリン南部のアイヌは中国(清朝)との関係をもち、中継交易のプレイヤーとしての活動がみられた。 こうした交流の一方で、ユーカラ:yukarに代表されるアイヌ語口承文学の世界や、木彫や刺繍に示される美しいアイヌ紋様の意匠が磨かれるなど、独自の伝統文化が花開いた。交易物資としての毛皮や水産物を生産するための狩猟や漁業の技術にも、研ぎ澄まされた独自性がみられる。 ただしこの時期以降、日本商人の営む大規模漁業に、アイヌが労働力として半強制的に動員されることが恒常化した。それに加え、中華思想を取り入れた日本が、アイヌを「蝦夷人」(=東の野蛮人)と見下し、その文化や言語を蔑んだことも、忘れてはならない。