【端島「軍艦島」】コンクリートで造られた緑なき人工の島 長崎・軍艦島の栄光と驚きの日本初
住民はみな家族同然 未来を先取りした島の暮らし
四方を海に囲まれた軍艦島に住む人々は普段どのようにして暮らしていたのか。軍艦島での生活は当時からすると想像以上に「現代的」であった。 日用品は会社の厚生部経営の購買会や労働組合経営の売店があり、長崎や対岸の村から商人が来て店を出す青空市場が開かれ、生活必需品に困ることはなかったという。商人たちは多少の時化でも海を渡って新鮮な野菜を持ってきて島外の話題を持ってきてくれていたため、島の人にとっては商人との会話も楽しみの一つだったようだ。 大人は飲酒やパチンコ、島唯一の映画館で映画を楽しむなどしていた。島独自の祭りやイベントなども催され、住民たちは家族のように暮らしていた。しかし、エネルギー政策の転換により、80年以上続いた島の暮らしに終止符が打たれる日が近づいていた。((2)に続く) (テレビ長崎)
テレビ長崎