「不倫しない無能より不倫する有能」ムードの背景とは? 玉木氏の不倫騒動が「国民民主党の躍進」に繋がる訳
■とは言え、消去法的な支持者も少なくない もちろん、それでも国民民主党に期待が集まるのは、現実的な消去法でしかない面もある。 「失われた30年」どころか「失われた40年」に向かって、日本を地の底に引きずり込むかもしれない自公連立政権もトラウマだが、かつて公約にない消費増税を強行した野田佳彦代表率いる立憲民主党もトラウマである。 要は、与党にも野党にも「庶民の声」が届いていないと多くの国民が感じているのだ。ならば、政治家の資質についても、私生活上の問題よりも「政策優先」で判断するのは合理的といえるだろう。
そもそも政治家も人間なのだから、聖人君子を求めるほうがどうかしている。世界的に見ても、日本のような不倫報道による謝罪文化は異様である。 では、不倫バッシングと有名人の社会的な抹殺にいい加減嫌気が差し、ほどよいリアリズムへの転換を表しているのかといえば、それはまったく違うだろう。 現在起こっているのは、「なるだけ早期に自らの非を認めて、誠意を込めて謝罪する」という、いかにも日本的な禊(みそぎ)の儀式を経た上での受容に過ぎないからだ。
■魅力的な物語、ゆえに注意が必要だ ポピュリズムを含めた政治的な熱狂は、わたしたちの日々の不安と不満の表れである。それゆえ、善と悪の闘争の物語はエンターテインメントとしても魅力的であり、ついつい感情の動員に無防備になりやすい。 だが、今やこのアテンション(注目)なくしては新興政党の支持が広がらないのもまた事実なのである。何が正しくて何が間違っているのか。 わたしたちにとってこの自問自答は瞬間瞬間に生まれては消えるものであると同時に、いつ終わるとも知れない長い道のりの始まりでもあるのだ。
真鍋 厚 :評論家、著述家