忘れないで「米国のカー」「ヒロシマのジュノー」 話の肖像画 元駐米日本大使・藤崎一郎<10>
会場ではすでに顔見知りの主催者のレスター・テニー博士が出迎えた。数百人入った会場は張り詰めた雰囲気だった。私のスピーチの後は、半分以上の人が立ち上がって拍手し、握手を求めてくれた。元兵士の高齢化に鑑み、この50回目の会合が最終会合であり、なんとか間に合ったと思った。その後、元兵士や家族の日本への招待が実現し、何年も続いた。
《戦争の記憶はスイスでも》
ジュネーブの国際機関代表部大使のときも、出会いがあった。ブノワ・ジュノー氏である。広島への原爆投下の数週間後、GHQ(連合国軍総司令部)に救援を要請し、十数トンもの入手困難な医薬品を広島に運び込んだ赤十字国際委員会のマルセル・ジュノー医師の子息だ。子息から父親の手記をもらった。ジュノー医師のアニメ作品は日本で制作されてはいる。しかしジュノー医師はもっと記憶されていいと原爆の日のたびに思う。
常に過去の話ばかりするのは前向きではない。未来志向が大事だ。しかし記憶すべきことは記憶し、感謝もきちんと後世に伝えていかなければならないと思う。(聞き手 内藤泰朗)