<私の恩人>宮川大輔、松本さんに認めてもらいたかった
そして、2日目。松本さんに言われてスーパーに買い出しに行ったんです。スーパーに向かう途中、たまたま貧血で具合が悪くなっている女性とエレベーターで乗り合わせまして。「大丈夫ですか?」と介抱することになったんです。女性をホテルの部屋まで送り届けたりしていたので、買い物にすごく時間がかかったんです。なので、松本さんらのところに戻って「遅くなりまして、申し訳ありません。実は…」と遅れた理由を真面目に話したんです。こっちは何なら怒られると思ってますから、真剣に貧血になった方の様子をマネたりしながら話をしてるんですけど、松本さんがエライ笑うわけですよ。今田耕司さんらもいたんですが、みんな爆笑。「なんやろ、笑うような話じゃないのに、めちゃめちゃオモロイわ」と松本さんがおっしゃったんです。 こっちとしたら、まさかの展開が続きすぎて、あっけにとられていたんですけど、それをきっかけに、松本さんとも普通にお話をさせてもらうようになり、「天然素材」のことも「そんなん思ってへんがな」と言うていただいたりもして、すーっと胸のつかえがとれたような気がしたんです。その沖縄旅行が大きな転機になりましたね。松本さんが笑ってくれることがうれしくて、何かあるごとに「兄さん、ちょっと聞いてくださいよ」と身の回りのことを話すようになったんです。それが、その少し後にできた「人志松本のすべらない話」につながっていくんです。 あとね、07年、松本さんが「笑っていいとも!」(フジテレビ系)のテレフォンショッキングに出た時に、友達として紹介してくれたのが僕やったんです。これは、ホンマにうれしかった。いや、うれしいというだけやなくて、何でしょうね、何とも言えない気持ちになりました。というのは、当時は「すべらない話」で知ってもらって、ちょうど、いろいろな番組に出してもらいだした時期やったんです。どうしていったらいいのか、迷いがあった時期でもあった。そこで、僕を友達として挙げてくださった。松本人志が誰を友達として挙げるのか、注目されるところじゃないですか。そこに、入れていただく。言葉にはしない「頑張れよ」があったのかなと思います。これが「迷ってる場合やない、いくしかない」という覚悟にもつながりました。