辰吉丈一郎が後楽園ホールで見た寿以輝「負けてから強くなるのが辰吉や」
辰吉が後楽園ホールに戻ってくる―。そう聞いただけで心躍るファンは多いだろう。2024年12月12日。世界ボクシング評議会(WBC)バンタム級元王者の辰吉丈一郎が、ボクシングの聖地に現れた。ただし、それはリングサイドの席。視線の先には、カクテル光線を浴びる次男の寿以輝(28)=大阪帝拳=がいた。54歳になった「浪速のジョー」は何を見て、何を感じたか。(時事通信運動部 前川卓也) 【写真】OPBFスーパーバンタム級タイトルマッチで、中嶋一輝との試合に臨む元世界王者・辰吉丈一郎の次男・寿以輝 ◆「おまえ負けたんやで」 びしっと前髪を上げた渋いグレーヘアから放たれる眼光は、今も威圧感がある。妻るみさんを伴って陣取ったエリアは、挑戦者の寿以輝に最も近い青コーナーのリングサイド最前列。当時最速に並ぶプロ4戦目で日本王座奪取となった地で、息子が初めてのタイトルマッチとなる東洋太平洋(OPBF)スーパーバンタム級戦に臨む。試合を見守る表情は、かつてのリング上と同じだった。 静かな立ち上がりから迎えた2回。ボディーを意識させられた寿以輝が、王者の中嶋一輝(大橋)の強い左フックをあごに入れられた。誰が見ても分かる鮮やかなクリーンヒット。後頭部からマットに落ち、失神状態で即座に試合を止められた姿を、微動だにせず厳しい表情で見届けた。担架で運ばれる際に駆け寄り、付き添って控室へ。試合の記憶が飛んでいる息子に、「おまえ負けたんやで」と優しく諭した。 ◆失神TKO負けに親心 後楽園ホールの控室があるエリアに伸びる通路は狭い。芋を洗うかのようにごった返す報道陣の前で、取材対応のできない寿以輝の思いを代弁した。親でもなく、トレーナーでもなく、我が事のように熱っぽく。慣れない左構えの王者に対する戦法の不備を指摘した。 「向こうにしたら狙いやすかったのでは。自分があれをしないといかん、これをしないといかんとせわしなかったのかな。(寿以輝の)左ジャブが圧倒的に少ないもん」 自身は1991年9月19日にグレグ・リチャードソン(米国)を破ってWBC王座を奪い、当時日本選手最速の8戦目で世界タイトルを獲得した往年のスターだ。一方でプロ10年目の息子はこの試合前までで16勝(10KO)1分けの無敗と順風ながら、新型コロナウイルスの影響などでなかなかチャンスが巡ってこなかった苦労を間近で見てきた。ようやくつかんだ夢舞台で散った失意はいかばかりか。 ただ、ここでのぞいたのは親心。「後遺症はないやろう」。衝撃的なダウンとはいえ、一発で沈んだ際に蓄積するダメージは一般的には重くはないとされる。 「これくらいで済んだからよかったかな。しょうがないやろ。ああでもせんと立つやろうし、失神したからあれで済んだわけだからよかったんちゃうかな」 ◆挫折経てのエール 地域タイトル戦とはいえ、敗れたショックは大きい。常に危険の伴うプロボクサーにとって、28歳という年齢は決して若くはない。寿以輝の代わりに進退について問われた際、息子を思いやり、優しさも込めて言葉を選ぶ。 「これをええもんにするか、『あーあ。最悪やった』と思うかは本人次第やからね。僕は何も言えない。自分だったらこうするとは言えるけれど、あまりやいやい言うこともないでしょうし。本人が納得するならそれでいいし、せんと言うならやればいいし、本人が決めるしか」 こう前置きしつつ、たきつけた。 「親父の立場で言わせてもらうんだったら、俺ならリマッチするよ」 自身は92年9月17日にプロ初黒星を喫してWBC王座の初防衛に失敗。これを含め、正規の世界王者に返り咲くまで計4敗を重ねた。若くしてお茶の間を沸かせ、挫折と苦難を経て味わう境地も知る。 「負けてから強くなるのが辰吉や。負けを知らん人間が天下を取るとおかしなことになる」 最後は「これぞ辰吉節」がさく裂した。いくら気を失ってのTKO負けだろうと、その上をいく敗戦がある。自身が99年8月に再戦で臨んだウィラポン(タイ)戦。7回に右強打をもらい、宙をさまようように歩いた。慌てて止めたレフェリーに抱きかかえられると、背中がぐにゃり。倒れる前に気を失った有名なシーンだ。 「倒れて失神なら誰でもできる。立ったままやったらね」 父として、ボクサーとして、一人のファンとして―。次男が全てを注いだ5分13秒は、自らの足跡をなぞるようでもあった。