「貨物船だけど実は“空母”です」実際どう運用した? 民間人の船員が運航した英空母
拿捕した敵国の商船を改造!
CAMシップでは船団護衛に不十分なのは明らかでした。そこで1940(昭和15)年にイギリス海軍本部は、商船の船体に飛行甲板を設置した簡易空母を計画します。穀物運搬船や石油タンカーを改造するも一部を除いて格納庫がないため、6機程度の艦載機は飛行甲板に留め置くしかありません。 イギリス海軍はこの商船改造空母を「補助空母」と呼びました。MACシップに改造された第1号は、1940年3月にカリブ海で接収された5537tのドイツ貨物船「ハノーバー」でした。「エンパイア・オーダシティ」と改名したこの船は、翌1941年6月17日にイギリス最初の護衛空母として就役し、さらに「オーダシティ」と改名します。 同艦はアメリカから供与された戦闘機、マートレット(F4Fワイルドキャットのイギリス版)8機を搭載。就役後は何度か船団護衛に出撃し、ドイツ軍のFw200哨戒爆撃機をしばしば撃墜しています。 ところが、「オーダシティ」は船団護衛中の同年12月21日、ドイツ潜水艦U-751に雷撃され、その短い生涯を閉じました。
戦闘艦なのに民間船?
「オーダシティ」以後も商船からMACシップへの改造は1944(昭和19)年まで続き、その数は19隻に上りました。 大戦中期以降、ドイツ海軍の通商破壊戦は潜水艦がメインとなります。それらに対してアメリカの護衛空母も投入され、連合国の優位に戦局が推移するようになると、MACシップは航空機の輸送や船団の給油艦としても使われるようになります。 そして1944年後半には順次、退役して元の商船に復帰していきました。 MACシップは護衛空母の位置付けだったものの、実は当初からイギリス海軍の船籍名簿に編入されず、商船として元の船員が運航していました。その背景には、本来の1万t級護衛空母が就役すると、乗員不足になるのは明らかだったからです。 ちなみに、日本でも戦時中、海軍に輸送船として徴用された商船は、民間の船員が軍属として運航しており、大勢の犠牲者を出しています。日本と比較すればMACシップの損害は少ないものでした。 商船改造空母とはいえ多数の空母同士が相対した日米戦に比べて、もっぱら潜水艦が相手だった大西洋のイギリス海軍は運用方法も立場も大きく異なりました。ドイツ軍の航空攻撃が限定的だったのは、MACシップには幸運だったといえます。大西洋と太平洋、海の戦いの様相の違いは、こんなところにも表れています。
時実雅信(軍事ライター、編集者、翻訳家)