なぜいつまでも「最小の労働と最大の余暇」が実現しないのか…多くの人が知らない「豊かな社会」の実態
「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」はなぜエッセンシャル・ワークよりも給料がいいのか? その背景にはわたしたちの労働観が関係していた?ロングセラー『ブルシット・ジョブの謎』が明らかにする世界的現象の謎とは? 【写真】日本人が知らない、「1日4時間労働」がいまだ実現しない理由
豊かな社会──最小の労働と最大の余暇
グレーバーの師匠の一人にマーシャル・サーリンズという偉大な人類学者がいます。かれには「初源の豊かな社会(The Original Affluent Society)」というタイトルの、大変影響力をもった論文があります。この論文からエコロジーのひとつの有力な運動の潮流が生まれたくらいです。 この論文のタイトルについてふれておくと、おそらくすぐさま気づかれるように、ここではまちがいなく、1958年に公刊され大ベストセラーとなった経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスによる『豊かな社会(The Affluent Society)』という著作が意識されています。 この著作のひとつの意図は、第二次大戦後に物質的な豊かさを獲得していくアメリカ社会が、そのいっぽうで公共部門の貧困をさらしつづけていることへの批判をすることにありました。 サーリンズは、このような現代に「豊かさ」の達成をみる経済学の前提を念頭におきつつ、この時点までに積みあげられてきたフィールド調査からみちびきだされた数々のデータを駆使しながら、経済学的な進化論が「豊かな社会」を現代的達成としてみなすところで、それを未開社会のうちにみいだす逆説、それこそ「コペルニクス的転回」を提示しました。 それがなんでそれほどまでに影響力をもったかというと、そこには、「経済人」のイメージとはほど遠い、人間のありようが生き生きとえがかれ、また、データによってそれが裏づけられていたからです。 経済学にかぎらないのですが、ヨーロッパ由来の近代的知性あるいは常識は、未開社会で生きる人たち(そしてわたしたちの遠い祖先)は、貧困にあえぎ、ギリギリの飢えの不安のなかで生きていると考えてきました。 ところが、多くの未開社会の観察がみいだしたのは、それとはほど遠く、それらの社会の多くが、最小の労働と最大の「余暇」のなかで自由に生きられる「豊かな社会」であることでした。つまり、かれらはいま必要以上のもののためには働きません。 漁に川へでかけたら、シャケがぴちぴち捕獲してくれといわんばかりにひしめいていたとします。わたしたちは、もし未開社会の人がそれに遭遇したら、とにかく手当たり次第捕獲して、飢えにそなえるんじゃないか、とおもうでしょう。ところが、かれらの多くは、いま必要な量以上のものを捕獲しません。保存手段があろうがなかろうがそうなのです。これを「目標所得(target income)」といいます。つまり、利用可能な労働と使用可能な資源を最大限動員することはなく、客観的経済的可能性を過少利用しているのです。 かれらの仕事は、たいてい典型的なタスク指向で「周期的激発性」をもっています。そしてそこでかれらは、資源を最小に活用し生存に必要な労働の時間を最小にしているのです。かれらは近代人の目からすると「怠惰」にみえました。しかしかれらは、すでに、かつてはじぶんたちもそうだったありようを見失った近代人の想像力の範囲の外に去っていたのです。 つづく「なぜ「1日4時間労働」は実現しないのか…世界を覆う「クソどうでもいい仕事」という病」では、自分が意味のない仕事をやっていることに気づき、苦しんでいるが、社会ではムダで無意味な仕事が増殖している実態について深く分析する。
酒井 隆史(大阪公立大学教授)