石垣島に残る巨石の謎を追った郷土史家の著書「明和大津波」が天皇陛下の目に留まった訳は
天皇陛下は一人の郷土史家に光を当てられたことがある。 【写真】発生3カ月で被災地へ、見えた陛下の個性 能登半島地震、寄り添う姿勢変わらず
江戸時代に沖縄・先島諸島を襲った「明和の大津波」を、丹念なフィールドワークで調べ上げた沖縄県石垣市の故牧野清さん(1910~2000年)だ。 過去に学び、未来に生かす。牧野さんの姿勢は、防災に対する陛下の思いと一致する。足跡をたどると、皇室とのつながりが見つかった。(共同通信=田中真司) ▽1冊の本 「『津波石』の存在は、石垣市の職員であった牧野清氏が職務の傍ら現場に赴き、石垣島に残る津波石と推定された岩塊の分布を克明に調べ、1冊の本にまとめたことによって、広く知られることとなりました。災害を歴史から学ぶ先駆となった事例といえましょう」 2021年6月、陛下はオンラインで参加した「国連水と災害に関する特別会合」で基調講演をし、牧野さんの事績と著書「八重山の明和大津波」を紹介した。 地震による津波は1771(明和8)年に起きた。犠牲者は約1万2千人。このうち石垣島では約8400人が亡くなり、当時の人口に対する死亡率は約48パーセントに上った。
そして今も各地には、津波によって海から陸に運ばれた巨石「津波石」が残っている。津波石は元々、海にあったサンゴやその化石などの岩石で、大きいものは重さ200トンを超え、「明和の大津波」より昔の津波で運ばれたものもある。石垣島の東側海岸に点在する五つは「津波石群」として国の天然記念物にもなっている。 この大災害の痕跡を追い続けたのが、牧野さんだった。 専門知識はなかったが、石垣市助役の傍ら、休日に島中の津波石を調べ、地図に落とし込んだ。被害を記録した古文書を読み解き、島に残る多くの口承を聞き取った。 地道なフィールドワークは、1968年に自費出版した約450ページの本に結実した。 被害の詳細、津波の高さや浸入経路の復元にとどまらず、長く人口が回復しなかった石垣島の様子や防災にまで言及。島では衛生環境が悪化したことに加え、被害を受けた田畑の土地が衰え、飢饉が起きたり疫病がまん延したりしたと指摘した。