暮らしのエッセイが人気の一田憲子さん。人付き合い、開き直ったら断られることも怖くなくなった
『暮らしのおへそ』の編集ディレクターの一田憲子さん。近年は、暮らしにまつわるエッセイを続々発表し、マチュア世代の共感を呼んでいます。これからの人生、自分が楽しめるように、「やめたこと」を聞きました。 【画像一覧を見る】
いろいろやめるたびに、どんどん身軽に。
暮らしまわりを中心に、書籍や雑誌で執筆する一田憲子さんが、『大人になってやめたこと』を上梓したのは2019年、54歳のときのこと。 「50歳を過ぎてから、自身でウェブサイトを立ち上げたり、文章を教える講座を開いたり。新たなことを始める一方で、疲れる靴をやめたり、新しい調味料を買うのをやめたりと、ちょうどいろいろなことをやめていた時期でした」 特にきっかけと呼べる大きな出来事があったわけではなく、人生の折り返し地点になり、自然にやめるタイミングがやってきたといいます。 「いろいろなことをやめるたびに、どんどん身軽になっていきました。若い頃から優等生体質で、周囲の評価を常に気にして生きてきました。自分に自信がなくて、誰かのお墨付きがないと安心できず、『自分はこれが好き』と堂々と言えなかった。こういう仕事をしているのだから、こだわりの調味料を使っていなくてはとか、作家ものの器を使っている私って素敵でしょ!と人の目を気にしていました。周囲の価値観に自分を合わせていたんです。でも、それは自分に嘘をついているということ。取材ですごく素敵な方たちにお会いすると、『人の目なんて気にしません!』と若いときから自分モード全開で突き進んでいるのを見て、ああそれでよかったのかと。もっと早くそうできていたらと今なら思いますが、当時の私はそんなふうにしか生きられませんでした」
「もっともっと」を手放し、私は私で生きていく。
もともと「明るく閉じている」と公言してはばからない一田さん。仕事であれば、いろいろな人に会いに行き、話を聞くことができるのに、プライベートで自分から誰かを誘うことには抵抗があったそう。 「でもそれは、自分が傷つきたくないだけで、いわば自意識過剰の裏返し。『私なんて』と自己否定をしているくせに、負けず嫌いなので相手に負けたくない、自分を認めてほしいという変な対抗意識があったんです。でも、そんなことにもいい加減疲れました。どんなに頑張っても、私は私以上の人間にはなれない。人生後半、ダメな自分も受け入れて、私は私で生きていくしかない。そう開き直ったら、断られることも怖くなくなって、自分から人を誘えるようになりました」 若い頃は、自分に足りないもの、できないことにフォーカスし、補おう、克服しよう、「もっともっと」と頑張ってきたといいます。 「ずっと、いかに幸せになるかがテーマで、いろいろな方法を試してきたけれど、その結果わかったのは、今こうして夫婦でお茶を飲んでいる瞬間が幸せなんだということ。今が幸せだと思わなければ、未来に幸せを求めて、ずっと未来のために今を消費する生き方になってしまいます。これまでもう十分頑張ってきました。『もっともっと』をやめて、これからは自分が今手にしているもの、自分の内側に目を向けて、それを磨いていく時期なのかなと思います」 何かを「やめる」ということは、自分に嘘をつかないことだったと一田さんはいいます。 「でも、本の中で『やめた』と書いたことで、また始めたり、変わったりしたことも。読者の方、ごめんなさいという感じです。でも、変わるのは当たり前。そうやって試行錯誤しながらアップデートしていくことが暮らしの楽しさ。一度『やめる』と決めたのだから、何が何でも貫き通すのではなく、違和感を抱いたら、『やめる』ことをやめていい。自分の感覚に素直に従って、これからもいろいろなことをやめたり、始めたりしていくのだと思います」