トランプ疑惑と類似?ウォーターゲート事件 坂東太郎のよく分かる時事用語
「土曜日の夜の虐殺」が転機
その後も、大統領法律顧問であるディーン氏が「もみ消し工作をしたのを大統領は知っていた」と上院特別委で証言。事態を重く見たリチャードソン司法長官は5月、法律家のコックス氏を特別検察官に任命しました。この役職は大統領も含む権力者らの捜査と起訴権限を持っていて、通常の捜査当局の指揮命令系統から「独立」しています。捜査期間も予算も無制限です。 さらに爆弾証言は続きます。7月には大統領副補佐官だったバターフィールド氏が、全米にテレビ放送された上院特別委でホワイトハウスの大統領執務室に会話録音装置があることを明かしたのです。 一貫して関与を否定する大統領に対し、コックス特別検察官らは大統領執務室での会話を録音してあるテープを提出せよと大統領へ迫ります。拒否する大統領側はコックス特別検察官解任をリチャードソン司法長官に求めますが、はねつけられ司法長官は辞任。ラッケルズハウス副長官も同じ道を選びます。結局、司法省序列3位の人物が要求に抗しきれず、コックス氏を解任しました。この解任劇は1973年10月20日の土曜夜だったため「土曜日の夜の虐殺」といわれています。 これに世論は「司法妨害ではないか」「やはりやましいからテープを隠すのだ」と猛反発。少しでも和らげようと、ニクソン大統領は一転してテープを裁判所へ提出しました。11月17日には、この事件での有名なセリフ「私はペテン師ではない(I am not a crook)」と記者の前で弁明しました。 ただテープは一部だけであったり、消去されている箇所があったりと、かえって火に油をそそぐ形となり、最後には1974年7月に最高裁が「提出せよ」と命令してとどめが刺されました。公開されたテープには、大統領が盗聴器事件の「もみ消し」を指示したと受け止められる個所が存在していました。
下院司法委で可決、弾劾直前で辞任
アメリカは厳格な「三権分立」制で、国民から選ばれた大統領(行政府トップ)を議会(立法府)が辞めさせることは基本的にはありません。ただ制度としては「弾劾」があります。 まず下院が弾劾決議案を過半数で賛成しなければなりません。次が上院による弾劾裁判です。出席議院の3分の2以上の賛成で弾劾が決まります。 ウォーターゲート事件の場合、下院で弾劾の気運が高まったのは特別検察官の解任からです。「司法妨害」という重大な事件に発展したとの判断が覆い始めました。事件そのものはちっぽけでも、正当な法の支配を揺るがす行為を大統領という最高の地位にある者が行ったというのが重大でした。1974年7月、下院司法委員会は大統領の弾劾決議を可決。このままいけば下院本会議の過半数で上院での弾劾裁判が発議され、舞台を上院へ移して……という前述した道のりを歩んでいく可能性が膨らんできたのです。 形勢は大統領に不利以外の何ものでもありませんでした。万事休したニクソン大統領は弾劾で失職するという不名誉を避けるために8月8日、テレビ演説で翌9日に辞任することを発表しました。後任はフォード副大統領が昇格。したがって「ニクソン大統領は弾劾された」という言い方は微妙に事実と異なります。弾劾への過程で追い込まれ、自ら辞任したというのがより正しい捉え方です。 それでもなお「大統領の任期中に辞任した初の大統領」であることには変わりありません。暗殺や病死で任期を全うできなかったケースは過去にありましたが、そうした場合以外では初めてです。