「わかり合えない」時代に物語を アンダー30世代とサバイブ力
心の拠り所が現実的なところに移行
──『私の馬』は、人間同士が「わかりあう」ために発明された言葉が、スマホの普及によって「傷つけ合う」道具になってしまった、というディスコミュニケーションが描かれています。 川村:そうですね。僕は自分のなかで気になる事象やテーマをためていって、それが5つくらいになったら作品にする。その「気になるもの」のひとつに、とある事件がありました。2020年に女性が会社から10億円を横領して「乗馬用の馬」に使い、逮捕された事件です。異性やギャンブル、豪遊に使ったりするのではなく、なんで動物なのだろうと印象に残っていて。 ちょうど同時期に、僕の周りでネコやイヌを飼うひとり暮らしの友人が急激に増えた。皆「これで完全無欠になった」と話すんです。人間のパートナーよりも動物で満ち足りている。ふと、身の周りのことと、あの事件が関係しているような気がしたんです。 そこで、横領で逮捕された女性は、「言葉のない世界」にはまりこんだのではないかと仮説を立てました。おそらく今は人類史上最も大量の言葉を使っている時代ですが、SNSを開くと悪口やけんかばかりですし、こんなに人間同士がわかり合えない時代はなかった。対照的に、動物とは言葉を介さずとも密度の濃いコミュニケーションがとれて心が満たされる。女性はそこに極端にのめり込んでいったのかなと。 さらに、本作のもうひとつのテーマが「お金」です。お金は元々、国や人に対する信頼をベースに成りたっている。心の拠り所が現実的なところに移行しているのかなと思います。この物語の皮肉なところは、彼女は動物には価値がわからないお金を、馬に注ぎ込んだことなのですが。 カツセ:「現実的なところに」という話には、とても共感できます。特に若い世代は、コロナ禍でインターネットを通して「世間ってあんまりいいもんじゃないぞ」ということを知ってしまって、「世間には見つかりたくない」と思う人たちが増えているように感じます。連絡先やSNSの交換順位も、最も自然体の写真を共有するBeRealが最後だとよく聞きます。 こうした「大切な人から嫌われずに生きていければいい」という考え方は、ネコを飼うというのと似ている気がするんです。ネコは人間のようには裏切らないですし、「この子は私が世話しなければ死んでしまう」という一方的な搾取関係のようなものをずっと続けていけるから。 ■大事なのはストーリーテリング力 ──川村さんは、デビュー作の『電車男』(2005年)から約20年、作品を通して時代を観察し続けてきました。若者像はどのように変化してきたと思いますか。 川村:ちょっとムードが変わってきたかな。アーティストやクリエイターでもプロデュースがうまいことが当たり前になって。加えてお金のこともわかってるから制作から営業、宣伝まで何でもできる。「ひとつの道を極める」ことにこだわっているのは、もはや上の世代だけな気がします。