「お母さん助けて」小学3年生、つないだ手が離れ “絶対に氾濫しない”と思った川に飲まれた 語り継ぐ大雨災害の記憶
想像以上の水の勢いに踏ん張りきれず、母親と繋いでいた手は離れ、田尻さんは濁流に飲み込まれたのです。 田尻さん「『お母さん助けて』って。とにかくもがいた」 濁流にのまれた田尻さん。その生死を分けたのは… ■濁流にのまれた少年の手に当たったもの 20~30mほど流された田尻さん。この場所にあった電柱が、田尻さんの生死を分けました。 田尻さん「なんか手に当たったね。それが電柱の支線だった。引っかかったのか捕まったのか、とにかくしっかり握ってそれで命拾いした。九死に一生」 70年たった今でも、田尻さんはあの時の母親の表情が脳裏に焼ついて離れません。 田尻さん「とにかく『康博!康博!』って向こうからね。私もつかまっているから『お母さん、助けて』って。必死の形相っていうのかな、母の。あの怖さはやっぱり忘れません」 ■翌日、自宅の様子は―― 近くの産院に避難し、一夜を過ごした田尻さん親子。翌朝、自宅に戻るとその惨状に言葉を失いました。 田尻さん「自分の家と2軒くらい残っているだけで、あとみんな無くなっているから『これ何が起こったのかな』と」 そこにあった多くの家は流され、跡形もなくなっていました。さらに… 田尻さん「川の近くに大きな楠があった。そこにつかまって『助けてくれ』って3~4人言ってたね。水が轟々流れているからまだ助けられない。前日の夜からもう12時間近く、その方たちは木に必死で捕まって助けを求めとった」 一夜にして激変した街の光景。慣れ親しんだ白川が持つ別の一面に呆然としたと言います。 田尻さん「70年前は無知って言ったらおかしいけど『白川は絶対に氾濫しない』みんな確信していた」 その思い込みが、多くの犠牲に繋がったと感じている田尻さん。 田尻さん「雨が多くて洪水になったらどこに逃げるか」 当時の体験を語り継ぎ、災害に備える活動を行っています。 ■空振りでもいい、早めの避難を この70年の間にも、氾濫を繰り返してきた白川。「九死に一生を得た」かつての少年。その経験から『早期避難』の必要性を強く訴えます。
田尻さん「自然の力には私たちは勝てないです。水害はこれからも起こるかもしれません。空振りでもいいから、昼間の明るいうち、安全なときにまず避難をする。これが私は一番かなと思います」
熊本放送