死についての何気ない会話がなによりも大事…在宅医療を望んでいた80代末期ガン患者が突然、「家で死にたい」と言い出した「深すぎる理由」
命は死を前にして輝く
「死が目前に近づくことは、人間にとって究極の苦しみです。しかし、人はその苦しみのなかで多くのことを学び、本当に大切なものを見つけます。そこで見つけたものは、残された『いま』を支える糧となっていく。死を絶望と捉えるか、あるいは希望あるものとして捉えるかで、人生最期の景色はまるで変わるのです」 【写真】財産3億円を残して「孤独死」したおひとりさまの悲劇 そう語るのは、めぐみ在宅クリニック院長で、『もしあと1年で人生が終わるとしたら? 』の著者の小澤竹俊氏である。 大切な人を残して、ひとり逝くのはたしかに不安だ。ただ、逃れられない死を恐れすぎたり、健康だった日々にいつまでも執着していては、美しい最期は迎えることはできない。 死に方は「生き方」でもある。看取りの現場で多くの患者と向き合ってきた医師、看護師の証言のもと、晩年をジタバタせず穏やかに生きるための心得を見ていこう。 これまで1000人以上の患者と関わってきた看取りの看護師、後閑愛実氏は「死について家族と話しておくことが最も大切」と話す。 「それを痛感したのは、『家で死にたい』と在宅医療を望んでいたある80代の末期がん患者が、入院を希望されたときです。珍しいケースなので理由を聞くと『娘と親子でいたいから』と彼女は言いました。 娘さんは看護師で、家では一生懸命、母親をサポートしていたそうです。ただ、その患者さんにとって、母親としての役割そのものが生きがいだった。病気になって、家事ができなくなり、その生きがいを失ってしまった。娘さんはそんなお母さんの面倒を見ていましたが、お母さんは自分が病人扱いされていると感じ、居心地が悪くなってしまったのです。 彼女は入院から1週間後に息を引き取りましたが、入院後は生前の希望通り、娘さんと親子の関係を取り戻すことができ、幸せそうでした。娘さんも『入院してからは肩の力が抜けて、お母さんに甘えることができた』と言っていました」 このケースでは、「病人扱いされたくない」という母の思いを知っていれば、娘は最初から母にそう接していたか、あるいは早々に入院をさせていたかもしれない。家族会議なんてかしこまった機会は用意しなくていい。普段の生活のなかで、病気になったときに自分は何をされたら嬉しくて、何をされるのが悲しいかを話しておく。長年同じ時間を過ごした家族だ。きっと些細な言葉でも理解してくれるはずだ。 「週刊現代」2024年4月27日・5月4日合併号より 「美しい最後」を迎えるための心得(10)
週刊現代(講談社)