叱責でも放置でもない「第三の対応」がある…中学教師が現場で見つけた「対立なし」の生徒指導
大人からの苦言ほど、中学生が嫌がるものはない。注意・叱責には敏感に反応し、ときに激しく反抗して決して受け入れない。思春期の子どもとはそういうものだが、とはいえ彼らに聞き入れてほしいことがあるときは、どうすればいいのだろう。著者の既刊『長谷川博之の「圧倒的実践日誌」1』(教育技術研究所)に紹介されている、とっておきの秘策を紹介したい。
子どもの「怒りの的」をはずしてみよう
記事前半で私は、教室内で暴力に走ってしまった子に「我慢しているのではないか」と尋ねて言い分に耳を傾け、 「そこで提案です。せっかく我慢できているのだから、これからも怒ってしまうところをぐっと堪えることができたときは、私にそっと教えに来てくれませんか」 と提案して「我慢したらほめられる」パターンへと修正して課題解決した事例を紹介した。 しかし残念ながら、こうはいかない場合もある。「我慢しているのではないか」という問いにも「我慢なんかしてねえよ!」と反発する子どもたちもいるのである。そんな子には、どう対応すればいいだろう。 正面から説諭するか、あるいは「気持ちはわかる」と共感するか、どちらかを選ぶ、という読者もいることと思う。 私は説諭でも共感でもない、第三の対応をとる。にっこり笑って、 「またまたご謙遜を!」 と伝える。あるいは、 「正直者なんだなあ!」 と驚く。もしくは、 「今まさに思春期っただなかだね。エネルギーが有り余っている。私にもそんな時代があったよ」 と遠い目をして述べることもある。 どれも相手の怒りの的を外し、聞く耳をもたせる対応である。 このような方法で指導へつないだ例を、別の子とのエピソードから紹介する。
対応のポイントは「明るく」そして「端的に」
某年、三連休明けのある火曜日は期末考査一日目だった。学級の男子生徒Xが髪を脱色してきた。髪の色はほんのり明るい程度。それでも前日までと明らかに違う。彼は部活に所属せず、外部のクラブ(クラブユース)に通っている。そのクラブユースの練習が一週間休みだから、羽を伸ばしたかったのだろう。 小学校4年時にどうにもならず受診し、ADHD(注意欠如・多動症)とODD(反抗挑戦性障害。反抗的な態度や不服従を特徴とする)の診断が出たという逸話のある子だ。 「どうする? どうしよう?」……職員は早くも色めき立っていた。手をこまねている教師を尻目に、まわりの生徒たちはXを囲んで「お前、やってきたなあ!」「うらやましい」と盛り上がっている。私はあえてその場に入っていき、こう尋ねた。 「X、髪の毛どうしたの?」 「消毒したら、髪の毛の色が変わるって聞いたんで、試したんです」 私は大笑いしながらこう言った。 「ああ! 実験しちゃったのか? テスト前だからね。体を張って理科の勉強をしたんだな! そうかそうか。……でもさ、テスト範囲が違うよね」 私の笑いにつられたように彼も笑う。顔が真っ赤になっている。まわりも爆笑の渦となった。その状態にしておいて、私は指導へと入っていく。 「それで、どうする?」 「直してきます」 「どうやって直すかわかる? 黒染めで直すの。どうやってするか、わかる?」 「黒染め買います」 「いつやる?」 「今日やります」 「よし」 これで終了である。誰でも一度や二度は通る「はしか」のようなものだ。直してくればよい。そして、もうしなければよい。私は直すまで見届ける。 翌朝、登校したXの頭髪は黒くはなっていたが、色にはまだ違和感があった。脱色してしまったから、一回では染まり切らないのだ。そして夕べ、もう一度染めたと言う。あと一息といったところだ。 こんなふうに、明るく・端的にする対応を積み重ねていくのが、私の生徒指導である。大声は必要ない。くどくど説教することもない。