父の思い…娘の絵と対峙する日々 “生と死”見つめ 夭折の画家・須藤康花 没後15年・初の回顧展
以後、母と自身の生きた証しを残すかのように創作に励みます。 多摩美術大学で学び国際的なコンクールでも評価されるように―。
28歳ごろの作品「自画像」。 若い女性とは思えない表情。それを見つめるもう一つの眼。 死を意識しながら、生きようとする彼女の強いまなざしです。
しかし、29歳で母と同じがんを宣告され、翌年、短い生涯を終えました。
3年後、父・正親さんは松本市に美術館を設立しました。 父親・須藤正親さん(2012年取材): 「生きることって大事なんだよってことを、彼女の絵を通じて受け止めてもらえば、彼女も報われる」
実は正親さん、康花さんに絵を見せてもらったことはほとんどなく、この時から娘の絵と対峙する日々が始まりました。 生前、唯一、タイトルを付けてと頼まれた作品。 「悪夢」
当時は理解に苦しみました。 父親・須藤正親さん(2012年取材): 「人生の悩みだとかいろんなものをぶちあけたものだったんじゃないか。これでは病に負けてしまうんじゃないかと。でも彼女はそうじゃなくて、ああいう絵を描くことによって病を克服しようとしていたんです。親は凡人ですから、それが分からなかった」
一方で、康花は二十代で父と移住した麻績の、のどかな風景も残している。
娘の心を、作品を、理解できていたのだろうかー。 正親さんは自分に問いながら美術館の運営を続けてきました。 あれから11年。著名な画家ではないものの、美術館には県内外から何度もファンが訪れるようになりました。
感想を残していくノートにはー。 「すぐに人生を終わらせたくなる私ですが、彼女の想いを心に、”生きる”ことをきちんと向き合って頑張ろうと思いました」 「康花さんが生きていたこと、画を描いていたこと、残った画によって、私は色んなことを感じていろんなことを考えています」 「康花さん、ありがとうございました。また来ます。またお話ししましょう」