「謝罪すれば罪を償ったことになるのか」人気フェイクドキュメンタリー作品が私たちに突きつける“儀式としての謝罪”
罪って結局のところ償うことはできないのかもしれない
──家族を扱ったものだと、現在公開中のドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』(藤野知明監督)にもつながるところですね。 大森 そうですね。4年前のオリンピックの音楽担当に関する炎上騒動の時に思ったのは、罪って結局のところ償うことはできないのかもしれないということです。そういうところにフェイクドキュメンタリーというフィクションを通じて視聴者が接続することで、自分自身の現実に置き換える。年末にその感覚を得るフィクションがあることはいいんじゃないかなと思います。深夜2時からの放送という『イシナガキクエを探しています』よりも更に深い時間にはなっているんですけれども。
──丑三つ時なので、不穏な雰囲気にぴったりです。 大森 お化けとか宇宙人を信じない人はいても、呪いを完全に信じないのは無理だろうと思うんです。とんでもない恨みを抱えた人が他の人に対して呪おうとする──その気持ちが存在している時点で呪いというものが起こりうる感覚はすごくあって。「存在しない」と口で言うのは簡単だけど、気にしないほうが無理で、誰かからものすごく恨まれてることを知った時点で呪いにかかってる感覚があるんですよね。 呪おうとした気持ちがあることが事実という時点で逃れられないことが僕にはすごく怖く感じられるんです。「人を呪わば穴二つ」という言葉があるように“恨みが発生した時点で、その事実こそが何よりも怖く感じる”というのは『飯沼一家に謝罪します』全体の雰囲気としてあります。
フェイクドキュメンタリーの魅力とは?
──それは最初からホラードラマを作ろうとすると生まれないものですね。 大森 フェイクドキュメンタリーという手法はフィクションとドキュメンタリーの狭間にあるもので、ストーリーラインは決まっていてもセリフや動きは俳優の方と一緒に作り上げていく部分が大きいので、何をもってリアリティとするかは演じる人によって違うんです。その差異が演じる人によって生じ、ひいては作品の印象自体も大きく変わります。 リアリティの話でいうと、僕の父親はすごく寡黙なんです。プライベートではほとんど喋らない人だから、フェイクドキュメンタリーにおいて父親が子供に対してすごく優しくて友達みたいな演技をされると、その人にとっては本当かもしれないけれども僕にとってはどうしても違和感があって、“ここまでフレンドリーにしなくない?”と思ってしまう。 制作側それぞれにとってのリアリティを現場で擦り合わせることによって、リアルだと思えるものに着地させるのが、フェイクドキュメンタリーがフィクションともドキュメンタリーとも違った魅力だと思います。 INFORMATION 【タイトル】 TXQ FICTION「飯沼一家に謝罪します」 【放送日時】 2024年12月23日(月)~26日(木)深夜2時00分~2時30分 【放送局】テレビ東京 TVerで配信中 https://tver.jp/series/srog0v9atu 『イシナガキクエを探しています』で注目されたプロデューサーがフェイクドキュメンタリーを作り続けるワケ へ続く
秦野 邦彦